ブルース・リー、ビートルズに匹敵するもの、それは「サウンド・オブ・ミュージック」

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自分の屋号の中心を「boxinglee」に戻そうということを最近考えていたが、自分の生きる指標となるものに、より強いものがあったことを思い出した。

その話を記しておこうと思う。

今までやった仕事はいろいろある。彷徨ってきている。

セミナープランナー、イベント関連ではレーザー光線発射制作舞台、広告代理店での企画、営業、マネキン担当、そちらもイベントプロデュース関連も多かった。そして、フリーのマーケティングプランナー、DJバーのオーナー兼ブッキング兼掃除係等々だが、ともあれ、仕事をやる上での大きな影響力となったのが、文学や音楽や格闘家、俳優だったりした。

今、この年で今現在でも、、ビジネスやマーケティング関連でも最も自分に影響を与えた人物は誰か?と問われると、すぐさま

ブルース・リー、コマネチ、を筆頭に、ジャズのジョン・コルトレーン、マイルス・デビスと答える。そう!すかさず答える。

マーケティングやセールス関連の本格的なコミュニティーに入っているのだが、そこで、講師に当たる方に、同じような質問をされても、同じように答える。

自分の影響者は誰か? ブルース・リーにコマネチ!

すると相手に絶句される。あるいはぶっ飛んでいる、と言われたりもする。

ああ、どうせあんたのセンスってそんなもんだろうな!

と心の中では思ったりするが、あえてそんなことわないが。

私は、ブルース・リーとコマネチは、20世紀における身体的表現の大改革者だと思っている。全くもっと今も、これからも変わらない。

1970年というメディアの大変革期に中学生時代を過ごした私と同世代の人々だからいえる事なのかもしれないが、それに遭遇しなかった、遭遇しても理解できなかった緩やかな人たちにはわかるまい。それについては、別の項目で話そう。

話をもどすと、つい2日ぐらい前に思いついたのだ。

私の中学時代のカルチャーショックの大きな素材があった。

それは、映画「サウンドオブミュージック」であった。

青森県十和田市の僻地の中学、三本木中学校において、サブカルチャーの通として認識されていた私のライバル的な人物が、カワ、というヤツだった。

中学2年ぐらいの正月明けにテレビで放映された「サウンドオブミュージック」を見た後の衝撃が凄かった。

そのことを思い出したのが、ふと2日程前に、あまりに仕事が進まずに、なんかすげぇことないのかよ!と、過去自分に衝撃を与えた出来事や書物、映画、テレビ番組などを追憶していたら、急に「あ、こんな曲あったな」とふと口ずさんだのが、「サウンドオブミュージック」のマイフェバリットシングスだった。日本タイトル「私の好きなもの」。

 

そう、私の好きなものを思い返せば、なんかいい気分になるんじゃないか、と文字通り、追憶しながら、鼻歌で思い出していると出てきたよ。

そうそう、これマジで1980年あたり、新宿の東口ジャズ喫茶「びざーる」で聴いたんだよな。ディグじゃないよ、ビザールだよ!

もう明確だよ。近くにも老舗のジャズ喫茶があって、そこはマイルス・デビス派、びざーるがコルトレーン派。

ふふ、ふふふん、ディダーララ、ルルル、ディーダラディーーーー、というわけで、

ともかく聞いてみてくれ。

マイフェバリットシングス 映画は「サウンドオブミュージック」 主演:ジュリーアンドリュース

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【英語】私のお気に入り (My Favorite Things) - サウンド・オブ・ミュージック (日本語字幕)
JR東海「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンCMでもおなじみのこの曲は、映画『サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)』(1965・米国)で、主人公の女家庭教師マリアの部屋へトラップ家の子どもたちがやってきた嵐の夜にマリアが歌い出す劇中歌です。後にジョン・コルトレーンなど多くのミュー...

これを聴いてくれたら、後ほど、その延長線上に出てきた私の屋号のコンセプト boxingleeについて話すよ!

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