ヤバいほど懐かしい、下北沢のヤバい居酒屋で働いた話

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1980年代初めの学生の頃、

何かと働いたり、遊んだりしているとアレが絡んでくるよね、って話になった。
仕事仲間とまた京王線乗りながら話していたら、トントントンとあそこらへんの思い出話になった。
何かともかく、なんか面白い場所とか、大切な場所に行くと、あの頃は、
ヤ●ザさんが絡んでくるんだよね。
それは、新宿、渋谷、池袋、その他。。ともあれハデな繫華街があるところはどこでもそうだった。無論今でもあるのだが、あのバブル突入期のあたりは、「またかよ」な感じだったよね。
あれは京王線ではなく、小田急線の下北沢の話。
随分とシモキタも変わりましたが、にしてもちょっと地方都市か、
アジアのどっかの街か、入り混じったローカルでおしゃれな漢字が下北沢の魅力。
ともあれ。あれだ。オレが22~3歳の頃、
下北沢でバイトした居酒屋のオーナーがヤ●ザだった。
あの頃、新宿いても、仕事しても、何かとヤ●ザが絡んでいた。そんな時代だった。
そう1980年代初めの頃、下北沢は独自の魅力を持った街だったけど、バイトをしていた居酒屋に勤めていました。

その居酒屋のオーナーは、一見クソ真面目で正直者、なんだけど、噂によればヤ●●との関係があると従業員の間では噂されていた。

何だか変だけど、その店にバイトで入ったら、オレがオーナーに妙に気に入られた。
またホール主任か、副店長みたいな年上の男性社員が怒鳴られて怒られていた。

で店にバイトで入ってから一週間もたたないうちに、その社員が辞めてしまった。
すると次の日に、オレがオーナーに呼ばれた。

「お前を、ホールのヘッドにする。時給はもちろん上げるぞ!」⤴

という感じで、止めた男性社員の後釜にされてしまった。
そして、時給は50円上がった (-_-;)⤵

当時のの下北沢は、洒落たお店と居酒屋とアパレル系が共存している町であり、その中で私たち学生も楽しい日々を過ごしていました。

居酒屋でのバイトは、時に厳しいものもありましたが、オーナーは厳格ながらも非常に人情深く面倒見の良い人でした。彼の周りには様々な人物が集まり、その人間模様もまた一つのドラマのようでした。その人間模様のおおきな一つが、お客さまでスッゲーいかついスーツ着て、スーツにはおしゃれなヤバそうなバッヂつけてました。

ともあれ、社員が辞めた後釜としてのアルバイトのオレがホール主任ならぬ「ホールヘッド」でやってました。

オレがヘッドやってる頃の夏に、急に同郷の3人が入ってきて、不思議そうな顔してたの覚えてるな。
確かOIL RIVERSouth、あとはよく覚えてない。NONZUだったかな・・・(青森県十和田市用語)

 

ともあれ、京王線から小田急を連想したはなしでした。

どっとはらえ。

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