八戸学院光星が、準々決勝で明石商(兵庫)に6-7で敗れた。
ああ、ちょっとというか、非常に残念。
勝てば、2012年以来の準決勝進出!
それに勝てば、青森県初の優勝!だったのだが。。
野球は興味ないのですが、青森県人にとっての甲子園の記憶といえば、
やはり、「三沢 対 松山商業」ですね。
1969年の夏でしたか。
あの延長の決勝戦から決着つかず、
翌日に持ち越された時、あのじりじりとした夏をよく覚えています。
やっぱり、あの熱い夏の日、私は太素塚裏を歩いていた、
光景を思い出しますね。
さておて、
「9回裏2死2塁、プロ注目で武岡龍世内野手(3年)が右飛に倒れ、夏が終わった。」
日刊スポーツに書いてあったのでして、
今更、
「右飛」ってなんなのか、おそらく「ライトのフライ」かな、と思ってググッたら、
やはり「うひ」と読み、「ライトフライ」の意味だそうです。
って、野球ファンにはバカ野郎かもしれませんが。
前も言いましたが、うちはテレビがありません。
しかも、野球はほとんど見ません。
私は球技はあまり得意ではなく、まだ対戦型のサッカーならルールもまあまあわかるし、
蹴っ飛ばすの好きだからいいんですが、
野球のルールって複雑でよくわからない、という前に興味ないんですよね。
テレビアニメ「巨人の星」は、欠かさず見ていたのだけど、野球には興味なかった。
結局、格闘技が一番好きなんだけど、妙な方向での打撃を思い起こす。
小学生の頃、体育の授業でソフトボールやってるとき、
テレビでプロ野球見て、
打席でヒット飛ばした時にボットをポーンと投げ飛ばすのがカッコイイと思って、
ソフトボールの打席で、思い切ってバットを振り切ってぶん投げ飛ばして、
球が当たったので一塁目指して走ったら、アウトだったか何だったか忘れたけど、
先生に「コラーーーっ」と大声で怒られて
「何やってんだ、見ろ」と指さされた後方を見たら、
同級生のシゲルってやつが頭抱えてしくしく泣いていたのだった。
そう、オレが投げ飛ばしたバットは思い切り放物線を描い(たかどうかわからないが)て、
シゲルの頭を直撃したのだった。
その打撃は大きなタンコブをシゲルの頭に作ったらしい。
さておいて、
アナウンサーは「ライトフライ」のことを「うひ」とアナウンスするんだろうか?
「うひ」
さておいて、
仕事で、ラジオやらを聴く暇もなく、ネットニュースばっかりで高校野球の結果見ていたんですが。
八戸学院光星野球部の今年の甲子園大会が終わった。
武岡主将は試合後「自分についてきてくれたみんなに感謝です。人生で一番楽しい時間をもらえたので感謝しかない」と述べたそうです。
また、武岡龍世選手は、チームの仲間の父母らから「スター」と呼ばれるれていたという。
お疲れさま。
確か彼は、中学時代は「徳島ホークス」ってチームにいたんだっけ。
青森県、八戸土着じゃあなくても、まあ、ありがとうですね。
全国各地、いろんな雑種がありますが、
青森県って、いろんな流れ者が集まって形成された国、だもんな。
ともあれ、なんか、光星、って学校に親近感ありますね。
久々ネットで甲子園のニュースチェックしてたら、
八戸学院光星高校、って名前、なんかしっくりこない、
と思ってググってみたら、
2013年に光星学院高等学校から、
今の八戸学院光星に変わっていたんですね。
私が高校時代は、八戸光星、あるいは、光星学院、と皆呼んでいたような気がします。
当時、私は三本木高校空手部所属で、光星学院とは仲良くて、たまに交流試合していましたね。
そういえば、高校3年生の時、
高校総体青森県大会で、
空手の大会が我が母校三本木高校で開催されたとき、
試合前に光星学院の主将と軽くウォーミングアップで組手やったら、
私、間違って、相手の鼻っ柱に突きをカウンターで当ててしまって、
相手は鼻血だして倒れてしまったの思い出した。
光星のコーチの方に、
「試合なら反則負けなんだぞ、キミ!」
と凄い形相で怒られましたね。
当たり前だけど。
今も昔も、つくづく下手くそだな、オレは、っキショー!
結局、全然野球とカンケーねえ話で終わります。
(これからも、自分のメモのつもりで書いてゆきます。いろいろ)
八戸学院光星高等学校(はちのへがくいんこうせいこうとうがっこう)は、青森県八戸市湊高台六丁目(高等学校、専攻科以外)と同市美保野(美保野キャンパス、専攻科)にある私立高等学校。
キリスト教(カトリック)系の学校(キリスト教主義学校、ミッションスクール)である。