ラジオの国から来た男

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サム・シェパードについて書いていたら2017年8月.1日になくなっていたのを知りました。彼は、ラジオの国に帰った模様です。写真をポチすると、記事下のページに飛びます。

オリンピックのテレビ放送をずっと、ぼーっと眺めていて、

ふと、交通、という言葉を思い出した。

1980年代初頭、当時、流行っていたポストモダン哲学の中の キーワードとしての「交通」である。

思えば、インターネットがまだ流布する以前、

活版印刷から衛星放送へ、

劇的に進化するメディアは、

古今東西、東西南北、地底から宇宙までの

異次元の世界の交錯を夢見させてくれた。

トヨタが対米進出し、工場がロックアウトされる頃であり、

東京にはヒュンダイやサムスンが進出してくる。

その直前の頃。

自分が20代の1980年代の東京は、

左翼文化が隆盛していた。

そして、なぜか、学生時代のぼくは、

空手を愛し、キックボクシングを愛しながら、

友達に誘われて、左翼の集会に行ったりもした。

学ラン脱いでシュプレヒコール!

なんて、ナンセンス!

なぜか、武道、格闘技

ついでオニャンコクラブが好きなやつ。

そして、

なぜか、左翼、パンクロック、原宿ホコ天、小劇場、

ライブで物議をかもし、

天皇制反対ギグで逮捕されるロッカーたちも、

当然のように友人として周りにいた。

その頃の、自己のやり方、生き方、考え方、

よかれあしかれ、は、別にして、

何故に、右と左を、うろちょろしていたのか、といえば、

自分自身の出生の「訳」を知りたかっただけ、だったのだと思う。

平たくいえば、

なぜ、青森県なのだ、と。

なぜ、原燃なのだ、と。

なぜ、十和田市なのだ、と。

なぜ、太素塚裏なのだ、と。

本家は、なぜ、芦沢と、元町、なのか、と。

そして、なぜ、自分が生まれた家が、

世界的な著名人の墓がある森の裏にあったのか、と。

そして、何ゆえに、その著名人の墓があることが、

さほど、内外に評価されていないのか、と。

五千円札が出たら、急に洋菓子の肖像になったり。

そんな運命を辿る、頭脳明晰な偉人が、

なぜに、あんなちっぽけでただ平面でだだっ広い町の片隅の

森の中の墓標の下に、眠るのか、と。

そして、なぜに、寒く、風吹き荒れる「北」なのか。

北は北でも、東北、なのか。

さらには、まっさらな荒地に、

中央政権から、なぜか、すっ飛ばされた侍なのか。

その侍は、なぜに、刀をソロバンと、帳面と、地図に買えたのか?

まったく視野は違うが、

それは、当時の熱血涙空手文学青年としては、

土地と土地、村と村、国と国、文化と文化、貨幣をこえて、

やってくる、未だ観ぬ新しい国を作るロマンとして、

文学やら音楽があったのじゃあないか。

思いながら、

当時、実は最も身近で直線的に影響を与えていたのは、

音声のメディア、つまり、ラジオではないか、と思う。

思えば、

あの頃、アフリカで起きた大虐殺などの事件は、

すべてがラジオのプロパガンダによって短期間でなされた。

今は、SNSにスイッチしながらも、

人の行動を瞬時にして掻き立て拡散させる

音声による「言葉の力」とは、人の行動の整理を書き立てるのだろう。

交通を掻き立てるメディア、ラジオ

20代終わり頃のサラリーマン熟成期直前の頃から、交通、に関してもっとも影響を受けたのが、俳優であり劇作家のサム・シェバードの一文だ。

古今東西関係無く、

人はラジオを聴いて旅に出るのだ。

彷徨えるオリンピックが終わらないうちに、

ちょいと、サム・シェパードのラジオを聴いてくれ。

ラジオが「友だち」だというギタリストを知っていた。

彼は音楽よりも、ラジオの声によほど親しみを覚えるのだ。

その声の、なにか人工的な質。

ラジオを通して聞こえてくる声ではない。

ラジオの声そのものだ。

遠くにいる人々が

すぐに近くで喋っているように錯覚させる

ラジオの力だ。

彼はラジオと一緒に寝た。

ラジオに話しかけた。

ラジオに口答えした。

彼は遠くの方にラジオの国があると信じていた。

それはいくら捜し求めても見つからない国で、

だから彼はその国から送られてくる声に

ただ耳を傾けるしかないのだという。

彼はラジオの国から追放された見であり、

それ以来、

永久に電波を手探りし続けなければならない

放浪者の運命なのだ。

—-彼を彼の失われた故郷に連れ戻してくれる

魔法のチャンネルを、

いつか奇蹟的にさぐり当てる日を夢見ながら。

サム・シェパード

「モーテル・クロニクルズ」より

(畑中佳樹 訳、ちくま文庫)

我が故郷も、それに通じる土地も、

ある一人の男が、荒涼とした砂漠に新しい国を作る、

と、うそぶき、言葉を拡散し、チカラを集結させた

いわばラジオの国ではないか。

という妄想をいだいたのが、

サム・シャパードに惹かれた頃。

悲劇も、ロマンも、踏み越えて

失われた未来図を取り返すことを夢見ながら。

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