東北から東京へ戻って、また東北へ。
仕事の都合で、上京してから三十数年たって、久々に雪と格闘する冬を過ごしています。
この数ヶ月、どこが本拠地かわからないような状態です。
東北の仕事場に戻ってみれば、
冬来たりなば春遠からじと、解けはじめていた路面の雪に、
どかどかと新たな雪が降り積もっていました。
冬の降り始めの頃とは明らかに違う、固まった雪をつま先で
チキショウ、エイヤ、と蹴飛ばしてたら、
昔、二十代の頃に仲間と作っていた同人冊子に掲載した詩作を思い出しました。
たしか母親が若い頃に書いていたノートにあった雪に関わる一編の詩。
途中にでてくる擬音が不思議と気になって、
それを思い出して書き出してくれと頼んだものを掲載したのでした。
☆ ☆ ☆
かた雪
作 ゆきゑ
遅ればせの正月が
門松立ててくる頃は
いつも子供等集まって
かた雪わたって遊んだっけ
赤い着物に 赤い下駄
赤い着物がうれしくて
カコ、カコ、チャキ、チャキ
音させて
朝日にまぶしい雪道を
田んぼを渡って行ったっけ
スネー、スネー、ホラー
カラスにやる餅が
朝焼け雲が輝いて
風がさらって行ったっけ
メンメコ取って凧上げて
仲間の一人凍みばれが
痛むとないてたそのときに
かへりつ歌った あの唄を
今もときどき思い出す
かた雪カンコ
爺っちゃ婆っちゃわたれ
しみ雪シンコ
爺っちゃ婆っちゃわたれ
☆ ☆ ☆
今、調べてみると、母、ゆきゑが書いた「かた雪」はどうやら宮沢賢治の影響を受けていたのがわかってきました。
「雪渡り」という作品に「カンコ」と「シンコ」が出てきます。
キック、キック、キック 宮沢賢治のキック
宮沢賢治の作品「雪渡り」は、こんな感じではじまる。
☆ ☆ ☆
雪がすっかり凍こおって大理石よりも堅かたくなり、空も冷たい滑なめらかな青い石の板で出来ているらしいのです。
「堅雪かたゆきかんこ、しみ雪しんこ。」
お日様がまっ白に燃えて百合ゆりの匂においを撒まきちらし又また雪をぎらぎら照らしました。
木なんかみんなザラメを掛かけたように霜しもでぴかぴかしています。
「堅雪かんこ、凍しみ雪しんこ。」
四郎とかん子とは小さな雪沓ゆきぐつをはいてキックキックキック、野原に出ました。
こんな面白おもしろい日が、またとあるでしょうか。いつもは歩けない黍きびの畑の中でも、すすきで一杯いっぱいだった野原の上でも、すきな方へどこ迄まででも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれが沢山たくさんの小さな小さな鏡のようにキラキラキラキラ光るのです。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」
(主人公の四郎とかん子は、小狐紺三郎という狐に出会います)
(いろいろあって、四郎とかん子は、小狐紺三郎に幻燈会に招待されます)
狐きつねは可笑おかしそうに口を曲げて、キックキックトントンキックキックトントンと足ぶみをはじめてしっぽと頭を振ってしばらく考えていましたがやっと思いついたらしく、両手を振って調子をとりながら歌いはじめました。
「凍しみ雪しんこ、堅雪かんこ、
野原のまんじゅうはポッポッポ。
酔ってひょろひょろ太右衛門が、
去年、三十八、たべた。
凍み雪しんこ、堅雪かんこ、
野原のおそばはホッホッホ。
酔ってひょろひょろ清作が、
去年十三ばいたべた。」
(四郎とかん子は、小狐紺三郎に幻燈会で、不思議な絵を見せられ、黍団子をご馳走され、それを食べます。そこにまた不思議な、人と狐の理解、というか信頼が生まれます。)
(そして)
二人は森を出て野原を行きました。
その青白い雪の野原のまん中で三人の黒い影かげが向うから来るのを見ました。それは迎むかいに来た兄さん達でした。
☆ ☆ ☆
若い頃、宮沢賢治の作品を眺めていて、擬音が多くて、妙にマンガチックに思えて興味が湧かなかったのですが、近年気になるのは、無論ワケがあるのでしょうが。
ともあれ、絵を見るように、あるいは音楽を聞くように読んでゆくと、宮沢賢治は、次第に深く身に入るというか、身をつついてきますね。
これらの文章を読んでいるだけで、宮沢賢治の作品は、事象、物体、鉱石、金属を思い浮かべるようなキーワードがちりばめられています。
キック、キック、キックだなんて、大正時代にパンクで、モダンで、何やらテクノ。
その合間合間に、涙だったり、団子だったり、餅だったり、土だったり。
岩手から我が故郷十和田を含めた青森県南地域まで、所謂南部地方って、どこかメタリックな気がしています。
にしても、果てさて、我が母や、
宮沢賢治読んで、影響されて、
かた雪カンコ、しみ雪シンコ、
と歌っていたのか?
あるいは、神話、童話としてあったのか?
もちっと掘ってみますが、
知っている人は、おへでけろ
(オシエテ,チョーダイ!)
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