新渡戸稲造の最後の言葉を太素塚で聞いた最後の男  佐川孟三

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昨日、青森県十和田市の東京での同郷会「東京十和田会」の忘年会に参加してまいりました。

私は今、理事として働かせていただいて約10年がたちますが、

その10年前から全く変わりなく活動されている重鎮がいらっしゃいます。

その名も、佐川孟三先生です。

青森県十和田市出身の獣医師・医学博士で

十和田市が三本木町から市に移る頃に、獣医として大活躍された方です。

常に話は、闊達で、過去から未来へと場面は飛びます。

佐川先生がこと、新渡戸稲造の話になると、終わりはありません。

一般的に聞く人が、新渡戸稲造の功績に関して知識が少ないことが大きな要因です。

佐川先生の幼い頃からの脳裏に刻み込まれた、稲造の功績。

本当に、新渡戸稲造、太素塚、三本木原、新渡戸稲造とアメリカ、

そんなぶっ飛んだ話についていけないからです。

理解してもらえないから、言葉が幾重にも重なる。

佐川先生、一度、ご自宅に取材に行っていろいろ話を聞き記録しましたが、

何せ、私は忘却の彼方、毎回会いましても

「誰でしたっけ。私、すいませんが全部忘れます」

との返答。

けれど、来年2020年に100歳を迎える佐川先生は

青森県十和田市太素塚で聞いた新渡戸稲造氏の言葉は、

今でも毎回再現できます。

凄い方です。

もう、いちいち許可を得るのも難しいので、

本人の取材時の許可の書面を前提に、

佐川孟三先生の記録した言葉・映像を配信させていただきます。

新渡戸稲造を語る

佐川孟三。大正9年(一九二〇)9月、三本木町(現十和田市)に生まれる。三本木農業高校、麻布獣医専門学校(現麻布大学)卒業。昭和17年(一九四二)2月召集。中国に渡る。昭和21年(一九四六)6月帰還。昭和22年(一九四七)北里研究所三本木支所入所。昭和38年(一九六三)北里研究所三本木支所閉鎖に伴い、柏市の家畜衛生研究所勤務。昭和55年(一九八〇)定年退職。以後、嘱託で70歳まで勤め、現在に至っている。
埼玉県白岡町在住。 (獣医師・医学博士)

出展:BUNKA新聞

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