一人の青年とともに見た、十和田の流星群の話をしよう。
2001年の9月。
その日の夕方、ぼくは故郷青森県十和田市の中央病院の個室に佇んでいた。
ベッドでは、父親が、生涯の終焉の秒読みに入っていた。
8月の盆明けに入院し、9月の頭に容態が悪化してから、ぼくは毎週東京と十和田を行き来して姉と交代で看病していた。
当時、東京の荻窪で音楽バーを経営していたが、週の前半をアルバイトに任せて故郷に帰り、週末を荻窪の店に入る、という繰り返しだった。
病院の個室で途方に暮れていた。
目の前で衰弱してゆく父親と、昨年春からはじめてしまった店。
やめようか、どうしよか。
荻窪の町外れのエレベーターなしのビルの3階のワンフロアーで25坪ほどの面積だった。素人が苦労するには十分だった。日増しに運転資金は目に見えて減ってゆく。
当初ジャズを流す小粋なバーにするはずだったが、開店一年後には、なぜか渋谷に飽きたクラバーがやたらたむろする店になっていた。それで一時的に資金難を逃れた。
週末はDJブースを解放してクラブイベントのハコ貸しで売り上げをもたせた。開店2年目は、それで乗り切った。
内装は、アングラ劇団の舞台美術の方に頼んで、錆びれた昭和の街角をあしらった、ある種劇場のような空間だった。それが受けたのか否かわからない。あるいは、ぼく自身が発するものが引き寄せたのだろう。不思議で変わった人たちが、次々と訪れてくれた。
オールナイトと自分自身の分身のような文学やらジャズ崩れの酔っ払いと、欲求不満の若者の相手、そして、亡くなった母の墓参と父の看病のための東京と十和田の行き来。週の前半をアルバイトに任せて、後半に帰ってはオールナイトの営業。
平日の合間に依頼が来れば、マーケティングの企画書やら、チラシのコピーやら、時に硬い企業のパンフレットの編集企画も請け負う。
土曜のオールナイトの夜が明けて、タバコの吸殻とこぼれた酒と靴の汚れで、ドロドロになった床をモップがけして帰宅。日曜の午後、実家へ帰る。
翌朝、東京から八戸乗り換えの三沢行きの新幹線に乗り、三沢から十和田観光電鉄に乗り、十和田に行く。週の半ばまで、自宅と病院を行き来し、木曜日あたりに東京へ帰る。そして、金、土曜日にオールナイト営業。
そんなことを繰り返した9月の後半の週明けの月曜日、またぼくは中央病院の個室にいて、ベッドで眠る父親の傍らで思案に暮れていた。
ベッドの脇に座って、窓から夜空を眺めている。十和田の秋祭りが終わった頃の空の星は、妙に美しい、などと思いつつ、一人つぶやく。
「はあ、やめてもいいかな。いや、つづけるかな。」
まさに本当にそんなことをつぶやいたとき、ポケットの携帯電話が鳴った。
受信すると、朴訥とした口調の青年が語りかけてきた。
「あ、あの、ボクシングリーのオチボさんですか?」
「はい、オチボです」
「あ、あの。。。そちらのお店でライブイベントやりたいんですが」
珍しく店のライブ企画のオファーだった。
折り返しかけなおす旨を伝えて、ぼくは一旦電話を切り、中央病院の玄関を出て、官庁街の広いとおりの歩道のベンチに座り、電話をかけなおした。
ふと空を見た。美しい空。淋しくも爽やか十和田の秋の空。冬を控えて、秋の萌えを見守る空。父と母と、家族と、実家と、東京と、過去と未来をつないでくれる、広くて自由で切れ目のない満面の星しかない空っぽの夕暮れの空。
さっきの青年は電話に出た。すでにぼくの返事は夜空の星に見えていた。
彼は後に、その時のぼくの心象風景を、そんな言葉で歌にこしらえた。
あの冬の空に輝く、流星群。
「了解しました。是非ともよろしくお願いします。わたしが東京に帰った時にあらためて打ち合わせさせてください」
そう電話を切って、また、ぼくは空を見た。
かつて太素塚前の産馬通りから見た、あの星が語りかけた言葉と同じだった。
ぼくは病室に戻り、眠っている父親に語りかけた。
「父さん、オラ、もういっちょう、やってみる」
父親は、動かないが、聴こえていたのだろう。
知らん振りしても、星は動き、輝いている。そして、移動する。
あの冬の夜の空に、輝く流星群のように。
途方に暮れた9月の夕暮れは、途方に暮れた、あの日の12月を思い起こさせた。
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