【オチボ新聞】人は学びに飢えている

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小学校時代の太素塚裏の玄関前で、今はなき歯医者の北村君と大田で餅つきした。

小学校時代の太素塚裏の玄関前で、今はなき歯医者の北村君と大田で餅つきした。

仕事の関係で、最近は、社会人向けの一般教養の講座をいくつかうけたりしています。

いわゆるカルチャーセンターですが。

主には、宗教(仏教、キリスト、ゾロアスター)、考古学、歴史関連です。




参加している方々は、ぼくよりもほとんどが年配です。

おそらくは、自分が大学生時代にも、同じような一般教養の授業をうけたりしていましたが、今の方が遥かに熱狂的に、受講者、あるいは生徒の方々は学んでいます。

ビジネス関連、その他、いろんなセミナーには、一頃熱心に通っていましたが、直近の実利のない一般教養の授業は、全く違う。

ある種、趣味の世界ということになるのだろうけど。

学ぶ、ということに、あらためてその意義を深く考える。

授業の中身よりも、学ぶこと、それ自体の意義を考える。

ビジネスセミナーは、常に新しく、実利的である。

一般教養は、古くて、直近の経済とはかけ離れている。

人は学ぶ、そして真似る。

そして、技を磨き、つくっては経済をつくり、街を作る。

その次の学び、とは。

古い、と、新しい、を超えたもの。

古いものを、解釈してゆくと、時は過ぎてゆくとともに、

解釈は、新しく磨かれる。

歴史は常に遊びで発達するが、一つの機運が帰結するのは、学びである。

ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」という本を思い出しました。

そろそろ、学びの時代が、僻地に来るとおもいます。

何せ、ぼく自身が、東京在住の僻地人ですからね。




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