夕焼けは西に沈む。
十和田市を夕焼けの町だ、という理由。
日は東から昇り、西に沈む。
これは世界中、どこに行っても同じことがおきる。
幼い頃のぼくにとって、夕焼けとは、なんだったのか。
お父さんがバイクで仕事から帰ってくる、夕焼け。
お母さんがご飯を作っている、夕焼け。
遊んでいた近所の友達とバイバイする、夕焼け。
幸いと激しくもやさしい家族に囲まれた夕焼けは、
もうすぐ晩御飯の夕焼けでもあった。
大半の青森県十和田市の市民が見るべき死角が、
夕焼けの見える位置なのである。
ぼくが生まれ育った青森県十和田市は、
元来は八甲田山が噴火した際に降り注いだ火山灰が
蓄積されただだっぴろい平面の台地である。
地平線が見えそうな土地だ。
今では、さまざまな建物があるためにさえぎられるが、
地平線が見えるような、
ある種アメリカの西部劇の映画のような土地が十和田市なのである。
幼いぼくが見た、十和田市の夕焼けは、今でも変わらない。
日本が沈没し、地球が滅亡する以外には、
これからも変わらない。
その夕焼けの右側には、凛々しい八甲田山脈が見える。
そんな絶景を、今、十和田の人は見ているのだろうか。
見えているが、見ているのだろうか?
見えているが、見えないもの。
それは、ぼくがその土地を離れて数年たってようやく見えたように、
今もまだ見えてないのではないか。
驚くべきことに、さらに残念なことに、
その夕焼けを見た人間の本物の意志が忘れ去られている。
十和田市で、いや世界の中の日本で、
今最も、
夕焼けを見るべき場所が、
青森県十和田市の中心街の東の小高い山に構築された
太素塚、という森のなのである。
その森の中で永続的な視点を決めた侍がいる森。
その侍の名前は、新渡戸傳という。
その侍のいる森の裏路地の平屋に
はなたらしのぼくは生まれた。
そして信じられないことに、近隣に住む幼少のぼくは、ある日、途轍もない挑戦状を突きつけてしまったのだった。
コメント
そういえば太素塚の墓石が時々夕陽に照り映えてます。傳さんはこの場所からずっと十和田の夕陽を見ているんですね、、、
taisonomoribitoさん
>傳さんはこの場所からずっと十和田の夕陽を見ているんですね、、、
その視点がとっても大切だと思っています。