青森県十和田市、新渡戸記念館のが立地する森、太素塚の裏の路地に生まれた家の話をしよう。
ぼくが生まれた頃は、東京オリンピックのちょい前だった。
当時は「瀬戸山」と呼ばれていた。
「瀬戸山」は、現在は青森県十和田市「東三番町」になるはずなのだが、ぼくが生まれた頃はまだ「本瀬戸山」という正式名称だったと思う。
「瀬戸山」という地名の由来については、また後に述べます。
ぼくが生まれた家は、太素塚の裏にあったのですが、その頃も後も、市内の対外的には「太素塚裏」と呼ばれていた。
物覚えついた頃、つまりはおそらく、2、3歳頃のぼくの記憶の中には、太素塚裏は、まだポツリポツリと平屋の家があるだけで、だだっぴろい平地だった。
まだ宅地とも、畑ともいえない平地で、今思えば不思議な人や生き物や物事が混在していた。
時は、明確にいえば、1961年10月から、その後。
不思議と爽快な景色を、ぼくはその地を去るまで見てきたと思う。
それは、青森県十和田市というその土地に生きた人の中で、時代と立地を組み合わせれば、非常に奇遇なことであったと思う。
ただし、それは、太素塚裏、という場所の数奇な巡り合わせがあったからだと思う。
そこに生まれて、離れて、遠く離れて、さらにすれ違って、面白いこと、不思議なことがありすぎる。
そんなこんなを、なるべく日々、なるべく滞りなくを目標に、綴ってゆきます。
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