池袋 芸術劇場前
たまたま連絡とりあったプリンという女性と、自分の居場所がちかいことから
浅川マキのイメージ
あの夏、居酒屋で昼の掃除から、夜の生ビール担当のホールで働いていた。
酒なんか殆どその頃飲んでいない。
夏、浅川マキとの遭遇の夜
浅川マキのライブはひところ欠かさず行った。
池袋文芸座、文芸座ルピリエ、新宿ビットイン。
毎年ある種ルーティンのように、マキのライブが映画館とライブハウスで行われていた。
そこで、日本の主要なジャズミュージシャンを目撃するようになる。
つのだ ひろ(ドラムス)、本田俊之(アルトサックスs)、渋谷 毅(ピアノ)、川端民生(ベース)、杉本清代志(ギター)、それから、もちろんマキの仲間は素晴らしい人が他にもいるのだが。アメリカ巡業(修行?)帰りの近藤等則(トランペット)が加わり、その後に後藤次利(ベース)。ドラムスはセシル・モンローがまた加わったり。まあ、記憶のままにメモしてますが、ご容赦。
その後、吉祥寺近辺に引っ越した後、その街でもライブハウス曼荼羅でマキを聴く。
そこで、寺山修司の危篤をライブのマキの語りでで知らされた。
「もういちど、あの人の開いた目を見たい」
当日は何のことかわからなかったけど。翌日、知った。
当時、 自分にとって、浅川マキはアントニオ猪木に匹敵する俺の星だった。
猪木のように、変幻自在に曲調を変えて、どんどん新しいスタイルを取り入れた。
ジャズ、パンク、フリーインプロヴィゼーション。
浅川マキが好きになりすぎたオレは、もう我慢できずに、自分の恋人をひけらかすように、マキを仲いい友人にその魅力を伝えた。
その中の一人、大学の友人の今、某大学で教授やってるヤスオにマキを教えたら、好きになり過ぎておかしくなったのを思い出した。
「ああ、ダメだ。マキが好きで大変だ!」
と胸を押さえながら、オレに告白した。
そういうオレもマキが好きで好きでしょうがなかった。
そんなマキ大好き症候群が続く中、通っていた大学の学園祭で焼き鳥屋出店した時、オレの提案なのか店の名前を「やきとりマキ」って名前で出した。
そんなこんなを池袋で思い出した。
同じ池袋だけど、文芸坐のある方面とはずいぶんちがってキラキラな感じになったけど、
なーんか、池袋は池袋(俗称 ブクロ)なんだよな。
一緒にいた歌手プリンのライブのお知らせ
一緒にいたプリンという歌手が、近々ライブやるらしい。
お知らせ。