池袋西口での追憶のデート

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池袋 芸術劇場前

昨日、夕方。
たまたま連絡とりあったプリンという女性と、自分の居場所がちかいことから
その中間地点の池袋で逢うか!ということになって、西口あたりで待ち合わせて芸術劇場前でだべった。
クソ暑い夏の夕べで、人手が多かった。
がスコーンと空が劇場の上に浮いているようにあった。
ああ、ここは上京したころは、掘っ立て小屋みたいな1階建てか2階建ての民家の集積だったよなぁ。
などと、あの頃を状況を思い出した。
2つ通った大学の最初の一つに所属している頃だった。
池袋っていえば、ちょいと治安が悪そうな街がイメージだった。
IWGP 池袋ウェストゲートパークって小説があった。
読んでいない。

浅川マキのイメージ

池袋といえば、2つ目の大学に移る決意をした19歳の頃、
新たな受験と受かった場合の入学金を稼ぐために初めて重めのバイトをした街だ。
あの夏、居酒屋で昼の掃除から、夜の生ビール担当のホールで働いていた。
酒なんか殆どその頃飲んでいない。
そして、次の池袋のイメージは、歌手の浅川マキだ。
大学を多摩の方の大学に再入学し、その年の夏、引っ越し費用を稼ぐために、
今度は新宿の大きなホールのような居酒屋でアルバイトした。

夏、浅川マキとの遭遇の夜

その夏、浅川マキをどこかのジャズ喫茶か、映画館か忘れたがチラシを入手し、知った。
全く何にも知らなかった。聞いたこともなかった。
ただ、チラシに乗せられた写真からアンダーグラウンドのイメージに引き寄せられて、彼女のコンサートのチケットの前売り券をどこかで入手した。
そして、池袋の文芸坐という映画館の会場へ向かった。
その日から、浅川マキにイカれてしまった。

浅川マキのライブはひところ欠かさず行った。

池袋文芸座、文芸座ルピリエ、新宿ビットイン。

毎年ある種ルーティンのように、マキのライブが映画館とライブハウスで行われていた。
そこで、日本の主要なジャズミュージシャンを目撃するようになる。

つのだ ひろ(ドラムス)、本田俊之(アルトサックスs)、渋谷 毅(ピアノ)、川端民生(ベース)、杉本清代志(ギター)、それから、もちろんマキの仲間は素晴らしい人が他にもいるのだが。アメリカ巡業(修行?)帰りの近藤等則(トランペット)が加わり、その後に後藤次利(ベース)。ドラムスはセシル・モンローがまた加わったり。まあ、記憶のままにメモしてますが、ご容赦。

その後、吉祥寺近辺に引っ越した後、その街でもライブハウス曼荼羅でマキを聴く。
そこで、寺山修司の危篤をライブのマキの語りでで知らされた。

「もういちど、あの人の開いた目を見たい」

当日は何のことかわからなかったけど。翌日、知った。

当時、 自分にとって、浅川マキはアントニオ猪木に匹敵する俺の星だった。

猪木のように、変幻自在に曲調を変えて、どんどん新しいスタイルを取り入れた。

ジャズ、パンク、フリーインプロヴィゼーション。

浅川マキが好きになりすぎたオレは、もう我慢できずに、自分の恋人をひけらかすように、マキを仲いい友人にその魅力を伝えた。

その中の一人、大学の友人の今、某大学で教授やってるヤスオにマキを教えたら、好きになり過ぎておかしくなったのを思い出した。

「ああ、ダメだ。マキが好きで大変だ!」

と胸を押さえながら、オレに告白した。

そういうオレもマキが好きで好きでしょうがなかった。

そんなマキ大好き症候群が続く中、通っていた大学の学園祭で焼き鳥屋出店した時、オレの提案なのか店の名前を「やきとりマキ」って名前で出した。

そんなこんなを池袋で思い出した。
同じ池袋だけど、文芸坐のある方面とはずいぶんちがってキラキラな感じになったけど、
なーんか、池袋は池袋(俗称 ブクロ)なんだよな。

一緒にいた歌手プリンのライブのお知らせ

一緒にいたプリンという歌手が、近々ライブやるらしい。
お知らせ。

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