冬の十和田観光電鉄 終着駅 十和田市

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WEBの作業のついでに画像の整理をしていたら一枚の懐かしい風景に出会いました。

冬。

きっと今ぐらいの季節なのかな。

今はもうない十和田市駅のプラットホームから見た駅舎です。

父親が健在な頃、着地の時間がわかると父親は車で十和田市駅まできて、出迎えてくれました。

ホームに下りると、看板とともに駅舎が見え、来るたびに、胸が熱くなりました。

家には、父親しかいません。

母親は、ぼくが20代中盤の頃からずっと、病院か、老人ホームに入ったきりで、

帰省したら、父親と車で五戸まで、顔合わせにいくのがいつものことでした。

ですので、50代中盤からずっと死ぬまで20数年間、

父親は、独りで家を守っていました。

母親は母親で、かつて達筆といわれた筆を動かす腕が動かずに

苦労した文字で、さまざま父親に希望や抗議のはがきを出していました。

筆には、ちょっとした苛立ちと、癇癪と、疲弊がこもっていました。

おそらく、どちらも、孤独に、どちらも、それなりに信用しあいながら

それぞれ生きていました。

それをつなぐのは、二人の姉でもなく、

やはり末っ子で出来損ないで泣げっつ(泣き虫)だった、ぼくだったのでしょう。

今の年代になって、よくよくわかります。

31歳で結婚したばかりの頃、まだ子どももいない頃、

親しい年配の女性が、ぼくが帰省する前にいつも親に対する小言をいうと、

「親はいつも、自分の子どもを呼んでるの。あなたのお父さん、お母さんも、きっと、あなたを呼んでいるわよ」

と言っていました。

当時は、さっぱりわかりませんでした。

今になって、よくわかります。

随分あってはいませんが、気がつけば、

ぼくはぼくのこどもの名前を、いつも呼んでいるようです。

十和田観光電鉄 終着駅 十和田市。

写真をただただ見るだけで、父親と、母親の、

若い頃のやかましい怒鳴り声が聴こえてきそうです。

あの頃は、いつも怖くて、泣いてたけど、

また、ちがった涙が、また汗のように。

ゆぎっご、まじゃって。

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