既成の世界観に固められてない、
想像力が無限に広がりづつける子供にとって、
自然というものは、さまざまな異郷を連想させる。
ぼくが太素塚の裏の家で生まれ育った育った1960年代当時の流行った
アニメや漫画の作品の代表作はこんな感じ。
「ジャングル大帝」
「冒険ガボテン島」
「鉄腕アトム」
大きく分ければ空想科学と、不可思議な南国への2つが共存している。
端的に言えば、未来と南方。
よくよく考えれば、面白い時代だったと思います。
ジャングル、ライオン、黒人、そしてロボット、
行ったことのない秘境と、見たこともない未来都市と、
鳥のように飛んでみたい空。
特に、太素塚の近くに生まれ育ったぼくは、
毎日が太素塚の杉の森を見つめ、眺め、通り過ぎる幻想の森だった。
そして、ぼく同様、ものごころついた頃の近隣のこどもたちにとってはある種所有物みたいな幻想があったに違いない。
例えば、かくれんぼする場合も、あるいは忍者ごっこする場合も、新渡戸三代の記念墓碑は、それぞれの陣地となる。
立派な大きな墓は、テレビや絵本から連想すれば、そこは秘密基地となり、ロケットであり、大洋を運行する船となる。
あそこの太い杉の木はぼくのもの。
あのおっきな四画の石は、わたしのもの。
ものごころついた頃の太素塚は、テレビのアニメにも負けない、親にも邪魔されない、ぼくだけの秘密基地が一杯あった。
そして、太素塚は、裏路地の家から、町へ、そして外界へ、踏み出してゆく出発地点でもあった。
後々わかってゆく、太素塚の意味を語る前に、はなたれ小僧の視点での思い出を、ポチポチ書いてゆこう。
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