※これは2000年のノートの公開メモです
これは批評家、柄谷行人の文章の中で最も魅力的でわかりやすい
マルクス、クリプキ、の言葉を引用したマーケティングレトリックです。
経済用語でに言い換えると、“交通”“貨幣”となります。
ここで述べようとするのは、私もそれほど詳しくはない、
二人の経済学者についてではありません。
一つの価値が、まったく違った世界に旅する時の、
想像を絶する意志の力についてです。
例えば、ここを広大な砂漠のど真ん中だとする。
そこで、まったく言語も文化も違う私とあなたが出会った。
私は、米という食物を持っている。
あなたは、パンという食物を持っている。
お互いに、自分の食物は日常で食しているのだが、
相手の持っている食物に関しては、見たことも食べたこともない。
まったく産物として自分の生活範囲の中で収穫されないからだ。
たまたま私とあなたは、一つのオアシスに水を飲むために立ち寄り、
顔を合わせた。
あたりには、我々以外、人っ子一人いない。
暑い日差しにさらされ、風の音が聞こえる。
彼らは、何故その砂漠の中を歩いてきたのか。
自分が持っている食物が生活する場所でたくさん収穫された。
そのありあまる食物は、次の収穫期まで自分たちの家族あるいは村では
食べきれない量となった。
だから、何かに交換しようと考えた。
そして、別の人間がいる場所を探し何かと交換するために
初めて旅に出たのだった。
そして、その場、オアシスで水を飲もうと歩み寄ると、
まったく顔もカタチも来ている衣類も違う、二人は
顔を合わせることになる。
私は、米を背中のリュックから出した。
あなたは、ショルダーバックからパンをとりだした。
私は、それは何だ、とあなたに聞いた。
あなたは、それは何だ、と私に聞いた。
二人の交わした言葉は、まったく違う言語だった。
だから、言葉を交わしてもお互いの意味は分からなかった。
しかし、自分が持っているものを、何か利益のあるものと
交換したい二人は、お互いが何かいいものをもっていると察知した。
さて、自分のもっている食物の重要さ、おいしさ、大切さを
相手に伝えるために、彼らがしたことは。
微笑む。
手振り身振り。
声を発する。
共通の言葉を探し出す。
握手。
最終的に彼らは、初めて食した食物を抱えて、
自分の故郷に帰っていった。
そして、次回の再会を約束した。
経済の成立である。
私は、あなたが抱えているものを<パン>という意味で理解した。
あなたは、わたしが抱えているものを<コメ>という意味で理解した。
どうやって、理解したのかわからない。
その時交換された<パン>と<コメ>の量的関係は
それでお互いの納得する価値の交換として成り立った。
想像するに、
その時の“私”と“あなた”が行ったトレード・物々交換は
もの凄いコミュニケーションだった。
コレハ、スゴイ、オイシイノヨ。
イヤ、コッチノハ、モットオイシイヨ。
コレ、神様カラノ、オメグミナノダヨ。
イヤイヤ、コッチモ、アマテラスオオミカミガ、イテネ。
ウンヌン、カンヌン。
チ
ン
プ
ン
カ
ン
プ
ン
ジャア、ワカッタ、コレ、ヒトツカミニタイシテ、コレヒトツ
エ、ソレッポッチ
ドレドレ、ジャア、コレクライ……
こんなことが、声と動作と身振りで繰り返され、
お互いの価値観の比重の均衡が成立した。
いつの日から、その価値観の共有は、
“貨幣”と呼ばれ始める。
全く、共通する意味も価値も無いところ、
砂漠のど真ん中の、意味の暗闇。
一つの価値観がもう一つの価値観と手をつなぐための
“命がけの飛躍”。
これをマルクスは“暗闇の中の跳躍”と言い、
柄谷行人の発言のベーシックなレトリックとなった。
私は、実はその価値観の共有作業には、
様々な隠れた人間的な要素があるのではないかと考えるのです。
その例。
人が仲良くなる前には、何故か喧嘩が多い。
相手を認める前には、何かを挑戦的にしかけることがある。
相手が弱みを見せたときに、こちらも弱みを見せられる。
心を開いたときに、相手の恥ずかしい部分までが見えてくる。
仲のいい人間ならば、一緒にお風呂に入ってもいい。
酒を飲みにいってもいい。
男女の間では、恋愛の一つの終点にセックスが成立する。
企業と企業のやりとりを見たとしても、
実に似たような様相のやりとりがなされている。
デート、結婚、離別、再会。
今の日本、いや世界の企業再編劇は、
人間で言えば、どのような行動形態なのか?
これは後の課題としておく。
この半年、
IT、e、WEBという記号が
マーケティングのあらゆる分野で跳梁跋扈する中、
私は、前述の“暗闇の中の跳躍”というキーワードを思い出していた。
WEBという砂漠の中の、あらゆる言語をメディアとした
価値の交錯。
会いたい人に会いたい、欲しいモノが欲しいという
生き延びる知恵を持ってしまった人間の欲求の交錯。
そこで交わされる見知らぬ人と見知らぬ人の価値交換の成立。
そして、暗闇の中の跳躍。
書店を眺めると、I、T、E、W、B、Cという記号を頭にし
“儲ける”“売る”という結語で終わる タイトルの本が、
所狭しと山積みにしてある。
仕事で出会う人々の口からも同じ記号が毎日毎度発言される。
それを聞く度に拭いきれない疑念が生まれてくる。
その前に、するべきコトがあるのではないのか。
自分の中の生理的な声がわき上がってくる。
単純にいいかえれば“商売の基本”“生きることの基本”。
そんなことだと思う。
おそらくマーケティングという一つのカテゴリーで
固定できるモノではないのではないか。
それを表す言葉として“人間力”という言葉にしてみた。
それが正しいのかはまだ分からない。
しかし、今のところ、そんな言葉しか思い浮かばない。
少なくとも、
“命がけの飛躍”“暗闇の中の跳躍”を本気で考えるには、
書店に並ぶ本のタイトルのような、
~サクサク、快適、気軽、儲かる、出来る、夢のような~
これらの美辞麗句は一度否定してかからなければならない
と思う。
既に私たちの周りには、メディアという情報の洪水が、
常に誘惑の手をさしのべてくれるのだから。
以上のような発想から、このメールマガジンは、
“欲しい”“誰かに会いたい”“認められたい”、
人間の単純かつ過剰な欲求に関する考察により、
今後のWEB的マーケットを生き抜くためのヒントを
様々な角度から発信したいと考えています。
冒頭にあげたキーワード、
“温度”“匂い”“愛おしさ”の背景には、
“クサイ”“キタナイ”“狂おしい”が必ずある。
これらのことを確実に意識しなくてはならないと思っています。
コンビニエンス神話が構築されつつある
WEB的世界の美辞麗句へのアンチテーゼとして
キーワードを探し、アグレッシブな考察を続けていきたい。
2000/5/9
boxinglee
参考文献:柄谷行人「探求・」講談社学術文庫