TELEという古典的な願望⇒テレヴィジョンとテレワークとテレフォン

[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]
このエントリーを Google ブックマーク に追加
LINEで送る

いきなりコロナウィルス関連で台頭する言葉「テレワーク」を

思っていたら、

急に1980年代に活躍したテレビアートのナムジュンパイクを思い起こした。

あの頃、私は会社勤めをしながら劇団を組んでいて、

年に1、2度、ミニシアターで公演をプロデュースしていた。

プロデュースといったって、役者と裏方の美術、照明、音響のメンバーを集め

チラシを制作し、広告と資金を集める、それだけだ。

ただただ、自分が思い描く空想空間を表現したくて、

ただ、それだけで。

1980年代半ば、その頃は、

現代アートの先駆けのような既存の電動メディアを駆使したアーティストが

テレビの深夜番組枠で、よく見られた。

まだ液晶までたどり着かないテレビというワールドワイドのメディア、

それを駆使して、まだデジタルまで行きつかない

音を複合させる。

今、なぜか。

当時、なぜ、韓国出身のアーティストにあこがれるのか?

作家、中上健次の影響であることは確かだが。

私は、まさに舞台にあこがれた。

カッコよかったのが、ローリー・アンダーソン、

そして、在米韓国人アーティストのナムジュンパイク。

確かところかまわずあらゆる空間に

テレビを、それも当時はそれしかなかったブラウン管のテレビを

多量に配置するのだった。

世界は、テレビ、の時代だった。

それを象徴するような、アートであった。

真っ暗闇に、いきなり、テレビが、光りはじめる。

世界は、テレビ、だった。

かつて、闇の時代はいくつもあったはずだ。

戦争、地震、津波、

大きな自然災害や理不尽な権力者の行動の前に、

個々の人間は、やりようがなく、

ただ、光を求める。

そして、JRの通勤電車の中でも

社内放送で言われる「テレワーク」。

おそらくが、誰かが、もはや、すでに、

それをマーケティングの装置として稼働させている。

ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik、漢字表記:白南準、1932年7月20日 – 2006年1月29日)は、韓国生まれのアメリカ合衆国の現代美術家。ビデオ・アートの開拓者であるとともに、その代表的な存在である

「白」が苗字で「南準」が名前なので、本来は「ペク・ナムジュン」と表記されるべきだが、ドイツで活動を始めた時に名乗った名前がナム・ジュン・パイクであり、これが公称として定着している。

ナム・ジュン・パイク – Wikipedia

タイトルとURLをコピーしました