前橋の街中を抜けて、利根川沿いにたどり着き、
ついに念願の大渡橋を渡り歩きました。
橋の欄干中央から、利根川の流れを見ていました。
流れる川の水と遠くの荒涼たる山々の背景が、
またどこか自分の故郷の稲生川、奥入瀬川、八甲田山に
通じる感触を覚えます。
稲生川も、利根川も、稲生橋も、大渡橋も、
水量も、規模も、歴史も違いながらも、
共通するものは、ひたすら欠落したものを補充し、
人、家族が生存、共存するための生活の血脈であったこと。
名曲の歌詞のとおり、川の流れそのものに、人の生きる理由があるのかもしれない。
高校時代からの40年の時の流れを大渡りしながら、
通底するものを記憶から手繰り寄せると、
上京してから愛し続けた作家 中上健次が
ことあるごとに発した一つの言葉が、記憶から湧き出てきます。
愛おしい。
愛しい、と、くるおしい、が、まざりあったのか、
愛でも、愛してる、でもなく、
愛おしい、なのです。
このいとおしい思い、この激情――人の寄って立つ土地と血への愛と痛みとを、
自然のうちに探って、現実と物語のダイナミズムを現代に甦らす著者初の長篇。
(中上健次の代表作「枯木灘」の河出書房社による紹介文)
上京2年目、人生の微調整をするために敢えて世田谷から移り住んだ
板橋のボロアパート近くの古本屋で
中上健次の初期の詩作集「18歳、海へ」を見つけて読んだ。
中上さんが幼い頃に自死した兄を追い求めた
長い詩作を読んで、自分自身に照らし合わせた。
中上さんの兄をも含めた複雑な血の系譜と作品群は、
ギリシア神話のような禁忌を含めた複雑なものだった。
ぼくの方はいたって単純で、
10年早く生まれ、1ヶ月で亡くなってしまった兄のワタルを想った。
小さい頃、両親に言われ、
自分が稲生川から金盥に乗って流されてきたと思い込んでいたくせに、
写真の一枚もない、ただ仏壇に小さな位牌があるだけの
ワタル兄のイメージだけはいつももっていて、
学校に入っても、上京しても、大人になってからも、
いつも、ワタル兄がいれば今のぼくを何と諭すのか、
と考えてきていた。
やさしいけれど飲んだくれると荒れ狂う父と、
本当はやさしいけれど、ことあるごとに叱り飛ばしぶっ叩いてくる
母親でもなく、同じ同類の男の近しく頼れる人がほしかった。
中上健次さんの岬からはじまる熊野の故郷 路地の物語は、
実はそのまま、ぼくの中の太素塚裏の路地の思い出につながった。
幼い頃、そこでつましく激しく暮らした人たちの思い出、
そして徐々に豊かになってゆく故郷十和田市の変化と
非常に強く重なっていくのでした。
中上健次さんが描いた路地の血が濃厚かつ複雑に廻る物語は、
ウィリアム・フォークナーの「ヨクナパトファー」、
続くガブルエル・ガルシア・マスケスの「マコンド」、
いずれも作家が生み出した架空の都市の物語と符合してゆく。
これらを読んでいるうちに、世界中の町や集落、いやそれ以前の
家族、集落の普遍性が見えてきた。
中上健次の言葉で言えば、世界中に路地がある。
それに気づくと、ぼくにとって十和田市は同じ碁盤目都市のニューヨークと重なり、
青森県は世界の縮図となった。
1980年初頭、バブル期直前の浮かれポンチの東京シティボーイたちは、
(実は、千葉だったり、埼玉だったりするのだが)
青森県という僻地全体を日本のチベットなどとほざいたりしたものだが、
(で、チベットに失礼だろう!)
自分が生まれた青森県の小さな辺鄙な町の古めかしい記念碑のある森、
その裏のまだ路地になる以前の原っぱにポツンと建った家が、
地球上の全世界に普遍性をもつ故郷となったのです。
それまで、
萩原朔太郎の「月に吠える」に出会い、
五木寛之の「青年は荒野をめざす」に出会っても、
まだ、自分の故郷の開拓の歴史に感動することはなかった。
僕は海にひざまずいている
荒々しい海にむかっていのりをささげる
海、おまえの中に母がいると歌った詩人がいる。
だが、おまえは母の海ではない、僕の血潮の海なのだ。
兄と姉たちと僕の祖先たちの言葉をすべてのみつくした海なのだ
おまえは原点だ
おまえの激しく飛びちるしぶきは僕の精液だ
おまえは僕の狂気だ
「18歳、海へ」 中上健次 著(小学館刊より)
この詩の中の、海、という文字を、川、
あるいは、森、に変えれば、
そして、しぶき、を、風、に変えれば、
それがそのまま、ぼくの故郷 かつての三本木原への、血潮、となる。
不思議なことに、
中上健次と遭遇してから、
ただの凡人で平民の生まれであるぼくにとって
故郷 青森県十和田市の稲生川は、母、であり、太素塚は、父、となった。
さらに不思議なことに、
新渡戸稲造という、本来、十和田市の開拓とは直接関与しない
盛岡生まれの武士の末裔の世界的な功労者が、
青森県十和田市という僻地に、
なぜ終の棲家としての記念墓碑を残したのか、
それを類推するヒントを、
ぼくは、なぜか紀州和歌山の路地から生まれた作家 中上健次から授かったのである。
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