仕事で群馬県前橋市に来ています。
群馬県に入ること自体が人生初めてですが、来る前からちょっとそわそわしていました。
なぜなら、前橋市は、若い頃に夢中になった詩人の萩原朔太郎の故郷だからです。
青森県十和田市の三本木高校の頃、現代国語の教科書に、代表作「大渡橋」が掲載されていて、当時の現代国語の教師の楠先生が、すさまじく燃えに燃えて「大渡橋」を朗読していたのを思い出します。
その後自分が上京してから、大学や仕事や色恋にうまく行かず、
なんか、どこかの流れる河の橋か(板橋あたりかな)、広いアスファルト道路の歩道橋の欄干で、
なんか、萩原朔太郎の「大渡橋」の一節を風の音や車の往来する音に紛らわせて、
吼えていたようなことが、あったなぁ、などと、思い起こします。
そしてまた、二十台後半から、
当時いつもふらふら歩いていた新宿で出会った
演劇関係者やら、役者やら、左翼系のバンド関係のやつら、
妙に、萩原朔太郎ファンが多かったなぁ、などと思いだします。
きっと今も、ちょっとしたロックかパンクかかったやつら、
朔太郎フリークなんだろうな。
と思います。
朔太郎は、学問がうまく行かずに、
ある種武器として詩を書いていた、という雰囲気を受けました。
朔太郎のような、吼える詩は、大卒には似合わないのかもしれませんね。
かくいうぼくは、性懲りもなく大学を2つも渡り歩いてしまいましたが。
そういえば、三上寛さんは、中卒のジャズミュージシャンが必要だ、と80年代に言っていた意味が、今ようやくわかってきました。
などとほざく我は、50代の吼える万年美少年。
—–
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直として前橋の町に通ずるならん。
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慌しいので、車で実際に利根川に行き、
大渡橋を通り過ぎてみるだけでしたが、
いやはや、確かに、長い長い橋でした。
車で通り過ぎるだけだと、もったいないので、
時間があれば、2、3日後、仕事が片付いて時間があれば、
是非「大渡橋」を朗読しながら、
大渡橋を、青春の涙をかみ締めながら、
歩いてみたいと思います。
ちなみに、ぼくの趣味は散歩です。
車の運転は、さほど興味ないです。
歩くのが好きです。
まだよちよちの頃、
両親から、オマエは桃太郎のように
稲生川を盥に乗って流れてきたのだ、
と言われて、本気にしていました。
その盥は物置小屋の壁に引っ掛けてありました。
本当の話なので、機会あれば、お話します。
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