先日、数年ぶりにジュリア・キャメロンの「ずっとやりたかったことをやりなさい」を読んで再度刺激を受け、朝一番(とはいっても起きるの遅かったりするんですが)モーニングページを書きはじめた。
さらに、もう一つ、忘れかけていた日課を取り戻すことにした。
アーティスト・デイト=自分の中のアーティスト(創造者)とデートする。つまりは、自分が本当に好きな場所に、さほどお金もかけずに素直に遊びに行く、ってこと。
この場合は、まず先にノートに書きながらタイムトラベルすることが必要。ともかくノートに、自分が過去に好きだったことをつらつら書いてゆく。
で、結局、自分が好きな場所って、昔も今も変わりなく、映画館、だってことが判明した。あと他には、昔のジャズ喫茶が好きだったんだけど、今は、非常に数が少なくなったし、ちょっと違うかな。と、思って、
よし、映画館に行こう!
というわけで、スマホでぐぐっってみる。
大体、行く場所って決まっていて、ほぼ「早稲田松竹」になる。自分の居場所との時間の関係や、立地する高田馬場も、散歩するにはちょうどいい。
やるべきことが、まだあるのだが、今日だけはということで、そそくさと、高田馬場へ向かった。
早稲田松竹は所謂名画座で二本立てとなっている
上映されていたのは「万引き家族」と「日々是好日」で、正直、前者の方は、ちょっとあまり見たくないなという自分の印象だったが、まあ、ともあれ行ってみるか、といってみた。
予備知識がなかったが故、ご褒美もらったような
「万引き家族」の方は、色々賞をとったりしていて、さまざまな前評判があったのだけど、ちょっとばかり危惧していた「万引き」という犯罪を美化したわけでもなく、ある種淡々と妙な宿命を生きる家族のような人たちが写実的に描かれていた。
映画としては、いい作品だと思う。が、正直、今現在の自分としては、あまり見たくはなかったというのが印象だ。
で、一本目が終わるとなんか二本目「日々是好日」を観る気力が失せてきた。
ともあれ、二本目を見る前にトイレ休憩して、また席に座り、次回上映の予告編を見て、鑑賞時の注意事項を見て、2本目の映画がはじまる。
はじまりやいなや、というか、はじまりは、風がすーーっふくような映像が目にはいてきて、妙にここちよかった。
映画は、一人の女性がお茶の先生に茶道を習う。その人生の物語。
さっきまでのちょっとどろどろした胸の内が、柄杓から茶碗にこぼれるお茶の流れに流されて、すがすがしい気分になった。
「日々是好日」は、水の音、風の音、お湯の音、畳を歩く音、細部細部が非常に丁寧に写された、風景のような映画でした
ああ、自分は静かに一人を感じながら、何かに包まれたい、という願望で映画館に来ているんだな。と、じわじわと自己確認しながら、黙って見ていました。
席は7~8割は埋まっていたのだろうか。周りに座った観客も皆、すごく静かに見ていた。そういえば、観客には年配の方がそこそこ多かったような。で、自分は年配なのか、何なのか。
実は作品のクレジットを勘違いしていました
それで、また同じようなちょいとアンダーなムードの映画をまた観るのかな、などと思ったり。
お恥ずかしいことに、「日々是好日」のはじまりのタイトルで、監督の大森立嗣(おおもり たつし)氏の名前を見て、はじめて別々の監督の作品だったのだ、と知りました。いやはや。
「日々是好日」という読みと意味をはじめて知る
「日々是好日」と書いて、「ヒビコレコウジツ」と読んでいましたが、正式には「ニチニチコレコウジツ」だったんですね。
映画のキャッチフレーズ(というのはちょっと妙ですが)は「季節を生きる。」
お茶の先生役の樹木希林のセリフにこんなのがありました。
雨の日は雨を聞く。
雪の日は雪を見て、
夏には夏の暑さを、
冬は身の切れるような寒さを。
五感を使って、全身で、
その瞬間を味わう。
この語感に宮沢賢治を連想したりします。
ともあれいいデートでした。
元気でました。ちょっとがんばろう。
日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされるが、「にちにちこれこうじつ」とする例もある。
日常的な表現としては「ひびこれこうじつ 」とも読み、その読みで作品名などになっている例もあるが、同様に「ひびこれこうにち」、「ひびこれよきひ」とする例もある。
日日是好日 – Wikipedia
あ、そういえば、若い頃は映画に携わる仕事をしたい、などと考えたこともありましたね。
今さら、ですが。
ともあれ、今、を生きるか。