先日参加した同郷会・東京十和田会にて、高校のOGの先輩と話していたら、同窓会の大先輩にあたる方が亡くなっていたことを知り、愕然としてしまったことを、今、また思い出した。
その方は、ぼくよりも二周りぐらい年配の方だったけど、非常に気さくで、やさしい方だった。
10年ほど前、四十代末、自営業を転換したばかりで全く右も左もわからずに、両親も亡くし、実家も貸家に出し、故郷に帰るすべをなくしたぼくは、ただただ、なんとか身近に自分が「帰れる場所」を探して、方々歩き回り、それは仕事先でも、友人でも帰結しなかった。たどり着いたのが、同郷会(東京十和田会)と、同窓会(東京三高会)だった。
当初、まったく知っている方もいなかったので、食事会や宴会に出ても、話しかける人がいなかった。
その中で、その先輩は、一等最初に、同郷のこと、高校のこと、をいろいろ話してくれた。
それから、10年で、ありがたいことに、東京でも、同じ故郷の言葉で故郷の風景を話せる人たちに定期的に会うことができるようになった。本当に、両親もなく、親戚も縁遠くなり、帰る家もないぼくにとっては、実に、実に、ありがたいことだ。
けれど、この2年の間、本当に目まぐるしく変わり行く自分の暮らしと仕事の行方にかまけて、(いたわけではないのだが)本来所属して役付けをもらってる団体の活動の半分以上がおざなりになってしまっていた。
どうにもならかった。
ただ、ちょっと、自分なりにできたこともあったのではないか、ということを怠っていたことは確かだ。
10年程前、自営で営んでいた飲食店を廃業した後、元の企画・制作の仕事をさ迷いながら、いろんな場所に学びにいったりして、一つだけ決めて実践していたことがあった。
それは、手紙を出すこと。だった。
10年前に店の経営から転換して、再度、自営で企画の仕事をはじめ、歩き回った頃は、出会う人出会う人に、名刺交換をしていただき、ことあるごとに、手紙、ハガキを出していた。
先日亡くなった先輩は、ハガキを出してから再会した際に、いの一番に「ありがとう!」と声をかけてくださった。
その先輩がいつも言う口ぐせが、とても素敵で、本当に身に沁みて、ありがたかったことを覚えている。
その口ぐせとは、「奇蹟」というキーワードである。
「今、ここで、たまたま同じ同郷の人、同じ高校の卒業生が、無事に、出会っている。話しているだけで、奇蹟ですよ。それを、本当に、感謝しあいましょう!」
いつも、言っていた。雑談の中でも、宴会でも、2次会でも、やっぱり、「これは、奇蹟ですよ」と言っていた。
実は、先日の同郷会・東京十和田会に参加する前日の夜、この先輩「奇蹟」という言葉のすばらしさについて、同窓会の会報なり、何かしらもメディアに載せられないか、と、ちょっとほろ酔いの夢見心地の中で思い起こし、えいや、と編集関連の方に、いきなりメール連絡で相談してしまったわけなのですが。
なんと、翌日の同郷会で、そのことを話すと、
やさしき高校の大先輩・村中さんは、昨年亡くなっていた、ということをはじめて聴いた。
愕然とした。
けれど、ただ、今、このぼくが、言えることは、
村中さんが言った事を、また、同じように伝えるだけ、だと今更ながら思うわけです。
同じ血が通った親戚、同じ水と空気で生きてきた同郷の方、友人、同じスポーツで鍛えた仲間、
ともあれ、なぜか、いまここで、
キミと話していることの、素晴らしさを、わかちあうよ。
そういうことが、村中さんへの、弔いかな、と思って、グッドナイト。
じっくりビール飲んで、話したかったなぁぁぁ。
そっちにいって、また会う、ってのもこれは奇蹟ではありますが。
まだまだ、オレは、こっちいます。というわけで、献杯。
コメント