キックボクサー立嶋篤史という51歳が100戦目を戦い切ったことをたまたま知った知った。
かつて、自分がまだ若い20代か30代の頃は、「立嶋くん」と読んでいたんだけれど、
今、51歳だそうだ。
知らぬ間に。というか、何となく色々やり過ごしているうちに、彼は、あの当時、10代~20代前半だったであろう、立嶋選手は51歳になっていた。
驚くのが、その風貌、立ち方、話し方が、あの当時と全く変わっていないのだ。
彼を見習うのか?凄いと思うのか?わからない。けど、素晴らしい、としかいいようがない。
サラリーマン時代のキックボクシング
想えば自分30歳手前の頃から結婚するまで3年弱、広告会社勤めしながら、キックボクシングジムに通っていた。今だから言えるが、実は、生涯に一度だけ「後楽園ホールに立ってみたい」という儚い夢を抱きながら。主任という肩書がつき始めた自分は、下北沢のジムへ通った。
週に1回だけ。それでも5時半の提示にタイムカード押してバッグを抱えてジムへ向かうオレに、
「仕事大丈夫かよ!お前!」
と先輩社員が非難の声を投げかけた。無視して出て行った。
どうせ、あと30分もすりゃあ、酒飲みに行くんだろ!
オフィスの場所は新宿紀伊国屋ビルの8階。
周辺には酒場だらけ。
靖国通りの川を渡れば、すぐ歌舞伎町だ。
吞み助だらけの会社だった。
営業のクライアントへの必殺技は、
行きつけのスナックへ接待、だった。
(スナック「花水木」はもうない)
そのうち、練習中に膝の筋を痛めて、それが原因でジムを止めた。
一回結婚した。
青春のキックボクシングは、それで終わった。
我が人生の中で、勝手な大自慢
人に自慢できる格闘技ファンとしての体験がある。
一つ目がアントニオ猪木の引退試合に東京ドームにいったこと。
二つ目が立嶋篤史選手の超全盛期に宿敵 前田憲作選手との試合を観戦したこと。
前田憲作戦は、実に実にドラマチックだった。
NKホールだったか。
立嶋選手の肘打ちに、ブレスターソードの前田選手が崩れ落ちた。
立嶋選手が雄たけびを上げる。
前田選手はそこから、かつてのベビーフェイスから鉄面のサイボーグに変貌を遂げた。
それを目撃した数多くない人間は、自慢する。
格闘技ファンでありつづけること。
キックボクシングファンでありつづけること。
一度はキックボクシングの試合、アマチュアで出て
ノックアウトで負けたこと。
後楽園ホールに憧れる事。
後楽園ホールのかわりにニューヨークマラソンを走ったこと。
そんなこんなの考えを商売にしたいと思い、
一度はDJバーを経営して、金すっちまったこと。
性懲りもなく、それでもマーケティングとかをやってると言いふらすこと。
実に、実に、ハンカクサイ。
さらに100倍美しいハンカクサイ人を再発見した。