小学校の頃からの友人 ポンポコ北村の思い出を書いています。
ポンポコ北村に誘われて 三沢へ。オンボロ自転車で
小学4年生の秋、ポンポコ北村から誘われて、彼と自転車で三沢に行くことになった。わくわくする気持ちで十和田を出発した。歯医者の息子 ポンポコ北村は新し目のスポーツ車に乗っていて、ぼくはいつもの母親から借りたママチャリでした。
なぜか北村は道路の右側を進むよう提案しました。彼はそれが安全だと言っていました。なんかよくわかんないけど、道路の右側を走るふたりの秘密の自転車旅に出発し、風を感じながら心地よいペダルを漕ぎました。その頃、チューリップの「心の旅」が大ヒットしていて、ぼくたちは大きな声で歌いながら進みました。
「ああ、だからこんやだけはー、君を抱いていたい」
「ああ、明日の今頃は、僕は汽車の中~」。
ポンポコ北村は、音程が変な大声で歌っていました。ピアノはきちんと弾けるのになぁ。。。
偶然会ったクラスメイトが引き起こす意外な展開
三沢に到着すると、デパートの亀屋で同級生のアベに出会いました。当時、ぼくたちの地元十和田市には4階建ての「杉本百貨店」しかありませんでした。名前と共に亀屋は憧れの的でした。ほかに三沢の街を色々と駆け回り、楽しい時間を過ごしました。
帰り道、心は満たされていました。楽しい思い出がたくさん詰まった冒険の旅でした。翌日、学校に行くと作文か日記を提出することがありました。その際、アベが三沢への自転車旅行や亀屋での出来事を堂々と日記に書いていました。学校では自転車での遠乗りが禁止されていました。だのに!
ぼくとポンポコ北村、そしてアベ。三沢に自転車で行った3人の親御さんが学校に呼ばれ、指導を受けることになりました。私のお母ちゃんと北村のお母さんは呼び出しに応じ、学校へ行きました。アベのお母さんは農作業があるため参加できませんでした。当時の十和田らしい。。。
ぼくは心配しましたが、お母ちゃんは意外にも笑顔で学校へ向かったようです。学校から帰ってきても笑顔でした。お母ちゃんはポンポコ北村のお母さんと学校で仲良く話したそうです。お母ちゃんは文学や空想物語が大好きで、いつも宮沢賢治や平家物語を愛読していました。おそらく、当時のぼくが泣き虫で虚弱体質で学校を休むことが多かったため、ぼくが三沢まで自転車で行ってきたことは、男の子として誇らしいと思えたことだったのでしょう。
後にこのことを父母の会の冊子に母親が作文を書いた時、「よくぞまあ、あのボロ自転車で」と書かれてあった。
さておいて、ぼくたちは自転車旅行はそれを最後にしながら、三沢への冒険物語はまだまだ続きます。次回の冒険にご期待ください。
お楽しみに。
つづく ホニホニ。。。。