【本日の読書日記】2021/10/12
『人生ダラダラ』乾杯の前にダラダラするな
外国生活の長いわたくしめに、是非乾杯の音頭を、ということで、僭越ながら、えー、人間も50近くになりますと、舌が研ぎ澄まされて参りまして外国生活が長いとはいえ、四季ある国、日本に生まれたのですから、その自然の恵みを十二分に楽しみたいと、ま、思うわけです。長い外国生活から見た私の日本食一等賞は、レンコンの天ぷらです。二等賞はすき焼きといたしましょう。三等はお茶漬けに決定いたします。さて、ここでクイズです。この三つ共通点は、何でありましょうか。皆さん首をかしげておられます。少し難解でしょうか。一度くらいは学校に行かれたこと、おありでしょう。では、ヒントをプレゼントいたします。どうかお聞きください。一度しか申しません。それは私の長い外国生活で……(と、ここまで彼が話したところでマイクが切れた。誰かがコードを抜いたらしい。)
(商品写真 月桂冠一升瓶)
いいお酒は一朝一夕にはできません。なにしろ相手は生き物ですから。良い米と、良い水から出発して、それを、健やかに育てる技術が必要です。月桂冠は、創業以来360年にわたる経験と実績に、現代が日本酒に求めている”旨さ”を加え、より完成度の高い清酒をお届けいたします。
以上
「名作コピーに学ぶ 読ませる文章の書き方」
鈴木康之 著 日経ビジネス人文庫 より
上記コピーの作者 中畑清志
広告主 月桂冠
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ワープロで死ぬほど打たせて貰っていた日々
26歳で中途入社した広告代理店には営業職として入りましたが、本当は制作の部署に入ってコピーライターになりたかった。が、すでに制作部は廃部になっており、営業職として入社したのでした。会社の所在地は新宿紀伊国屋ビル8階9階(今はもうない)。バブル期の新宿にあり、上司の大半が大酒飲みで妙に天狗でした。が、その中で青森県出身の田舎者と、当初、小ばかにされていましたが、当時まだ普通の会社ではワープロ、パソコンが珍しく、入社前にはセミナーの会社で資料の原稿をワープロで死ぬほど打たせて貰っていたので、社内の企画書類は結構打たせてもらっていた。それで企画書やコピーの書き方をタイピングの中から覚えていったのではないだろうかと思う。ってのを思い出した。本当につくづく思い出すのが、滅茶苦茶に酒のみだらけだったので、プレゼン納めてスッゲー二日酔いで、翌日、会社の自分の営業部に昼過ぎに遅刻して行ったら、上司が皆、休みか、遅刻していて新入社員一人だけしかいなかったってのを思い出した。その新入社員は酒臭い息を吐く私に向かって「何ですか、この会社は!」とすごんできた。「誰も会社こないじゃないですか!」「止めますか、オレ、この会社!」と怒っていた。そりゃあ、そうだよな。
ともあれ、80年代後半の当時、文学目指して上京しながら、道が見えていなかった自分は、広告の世界では、できればコピーライターらしき方向の道を歩みたかった。のだが、日々の企画業務に追われ、プランナーの方向性となった。が、企画を書いたり、コンセプトメイクを頼んでくる人はいたが、私は、ただの営業職でしかなかった。
そのうち役員の流れが変わり、私は生意気なので取締役に目をつけられて、試食販売担当に飛ばされた。しょうがないので会社をやめてフリーになった。名刺が必要なので、肩書に「プランナー」と記した。それから私はプランナーになった。その後私はだなぁ……(と、ここまで彼がタイピングしたところでワープロの電源が切れた。その部屋には、オレしかいねえんだけどさ。ウラパン屋→うらめしやの替わりに行ったりしなかった?うらぱんや)
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うちの母は、田口豆腐店の3軒先に
できたコンビニを、「たぐち」と呼びます。
もちろんそのコンビニは田口さんとは何の関係もありません。
母は、なぜか「田口豆腐店」と「たぐち」に呼び分けています。
(にゃるこ)
以上、
「いいまつがい」糸井重里 監修
ほぼ日刊イトイ新聞 篇 より
へばね!!
(「へば」に現代語風の「ね」をつけてみました。
ちょっともだんな感じがしねべが!?)
※オチボ文庫の今日の読書日記は
読書のすばらしさと青森県南部弁の美しさを
広く世界の皆さんにお届けしますだず。