読書

「一流の男をつくる才能と信念の磨き方」里中李正から

何気なく本棚にある一冊の本を抜き出して、ちょうどめくったページにこんなことが書いてあった。 --------- あなたが生まれたときから庶民の息子で、父親は平凡な男で、高卒か普通の大学で、会社も無名の企業で、何の才能もな...
オチボ新聞

飢えたニャンコに学ぶこと

本日は、ぼくがやっている仕事の一つ、 便利屋さんの仕事の現場立会いに行ってきました。 今回の現場は、猫に関する仕事です。
路地と武士道

綿菓子泥棒を捕まえろ!

写真出典:太素塚太素祭実行委員会 ぼくにとっての太素塚記憶のはじまりは、 太素祭(たいそさい)というお祭りでの出来事だった。 こどもこどもでありながらも、ぼくという個人が、 世界のしくみ=システムに気付くきっかけ...
オチボ新聞

【オチボ新聞】雨の祝日に何を祝うか?

開拓とか、開拓者とか、イノベーターとか 言いますし、これまで言ってきましたが、 本日、祝日秋分の日、さて何を祝うか? 久々、猫の仕事がきました。
太素塚の遊び方

空想科学の森、太素塚。

既成の世界観に固められてない、 想像力が無限に広がりづつける子供にとって、 自然というものは、さまざまな異郷を連想させる。 ぼくが太素塚の裏の家で生まれ育った育った1960年代当時の流行った アニメや漫画...
オチボ新聞

【オチボ新聞】雨と猫と病院。

東京は雨。 土砂降りの中、ねこのジンくんを午前、午後、2回、東高円寺の病院へ連れて行く。 あと、どのくらい? と、不謹慎な疑問を、口に出してしまいそうなパートナー。
路地と武士道

太素塚の遊び方

子供たちにとって、太素塚の中で、 もっともスリリングで面白い場所は、 新渡戸傳、その息子十郎、さらにその息子の稲造、 十和田市の開祖新渡戸三代の三つ並んだ記念墓碑だったと思う。 本来、太素塚は、埋葬された新渡戸傳とい...
路地と武士道

聖地として、遊び場として

ぼくが生まれたのは、太素塚の裏の路地裏の平屋の家だった。 ものごころついた頃には、ただ普通に家の窓から太素塚の森が見え、 ただ当たり前のように、太素塚の森の中で遊んでいた。 ぼくが生まれた1960年代は、高度成長期であり、...
オチボ新聞

【週刊オチボ新聞】再び、生きる。

先日、自分の生まれ故郷に関わるシンポジウムに参加して、 ココロの中に溜め込んでいたものを書き始めようか、と思って このサイトに書き始めました。 ここにあるとドメインは前から持っていたんだけど、 何を書くかは決めていな...
路地と武士道

やさしさが溢れる、ほんつけなしの場所

ぼくが生まれ育った太素塚の裏の路地、通称「太素塚裏」は、 ぼくの世代の子供たちが成長する勢いに比して、 生命力を発揮していたように思う。 後に必ずさらに整理して述べるが、 太素塚とは、何か。
路地と武士道

夕焼けを見る理由

夕焼けは西に沈む。 十和田市を夕焼けの町だ、という理由。 日は東から昇り、西に沈む。 これは世界中、どこに行っても同じことがおきる。 幼い頃のぼくにとって、夕焼けとは、なんだったのか。 お父さんがバイク...
路地と武士道

夕暮れの町

ぼくは一頃、ライブのできるバーを荻窪で運営していた。 一頃とても暇で、一頃メチャクチャ繁盛した。 暇な時期に、彼は来た。 彼は、フォークシンガーだった。 彼は、ぼくの生まれた十和田に近い八戸の生まれだった。
路地と武士道

青森県十和田市本瀬戸山から/東三番町以前

青森県十和田市、新渡戸記念館のが立地する森、太素塚の裏の路地に生まれた家の話をしよう。 ぼくが生まれた頃は、東京オリンピックのちょい前だった。 当時は「瀬戸山」と呼ばれていた。
日記

なぜか武士道ブログ、はじめます。

「なぜか武士道」なんて、ぞんざいなタイトルで新しくブログをはじめることとする。 当初は、本当にぞんざいにはじめるので、ぼくを知る人は予めご容赦願いたい。 ともかく、今は、雑記でも、メモでも、書かねばならないという場面にある。 ...
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