「水入らずもホドホドに」~過去ログのアーカイブ

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ふと、2000年頃にいきなりはじめたウェブサイト「人間力マーケット」で書いていた文言を思い出して、ここに再現してみます。

何か、今の状況に似ているような、

当時、時はミレニアム、紀元が変わり、日韓のワールドカップ。

インターネットで世界が開ける!

そんな世情でした。

そして、私は、DJバー開業というとんでもない渡航に出る寸前。

ともあれ、今とは違う状況だけど、時代のシンタックスとでもいうべきか、

仕組み、考え方がガラリと変わるタイミングであることは、変わらないと思います。

ともあれ、読んでみてください。(自分も)

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「水入らずもホドホドに」

今自分が生きている街のど真ん中に、井戸があったらいいなぁ、
なんてふと思いましてね。
そんでそこへ毎日、桶もって水汲みにいく。
近所のオッサン、オバサンに挨拶する。
今日もお日柄もよく、しかしまあ、もうすぐ梅雨ですねぇ、
などと、のたまい、うだうだ過ごす。
井戸端会議。
そんなまったりとした時間ってのは、
今じゃあ、最高の贅沢なんじゃないすかねぇ。

昔、国語の教科書に載っていた“ひしゃく星”、
つまりは“北斗七星”のお話がありましたね。
井戸がからからに乾いてしまって、
おかあちゃんに水をあげられない少女が、
シクシクと涙を流すと、そいつが溢れて、
井戸の水になってその街が救われたとか。
そんで、少女は死んでお星様になったとか。
泣かせるお話でした。
そんなふうに、井戸ってのは、
街の人々にとって中心的存在だったわけですわね。

思えば人間、水で出来ているわけですからね。
水の問題ってのは、ホントは環境問題なんかであげつらう前に、
非常に重要な問題なだったわけですよ。

水について語ると、そういえば、思い出す女がいる。
あるビジネス交流会で知り合った女。
数年前のこと。
ちょっと知り合っただけなのに、
その頃勤めていた会社の電話にまで、
ドコソコで会いましょう。
いや、いい話があるんですよ。
(なんてやってくる)
備長炭を使って、水を蒸留するシステムが、
たったの数万円で手に入るとかなんとか。
ホントに、あいつはしつこかった。
きけば、同じ仲間たちも、あの女につかまって、
クドクドお話をきかされたとか、って
よくありがちなお話なんだけど。
要するに、水ってのは、人間にとって要なもんだから、
へたすりゃあ、宝石なんかよりも、妙に高い値段がついたりするわけです。
まあ、それも人格によりけりの値段なんですが。

水ね。
それは、それは大切なものだとは思うのですが、
やっぱり根本論を話してみたほうがいいような気がするね。
水、ってなんだろう、ってね。
一つには生理的な機能としてはね、
からだの潤滑油でもあるわけだしね、
構成物質でもあるわけだしね。

で、もうひとつ、生態的な行動学ね。
水のあるところってのが、
あの“ひしゃく星”のように、人の集まるところなわけですよね。
アフリカとかのサバンナなんて、
水は動物の集合場所でしょ。
よくわからんが、いい水さえ、潤沢にながれれば、
動物ってのは、ある意味幸せになれるんじゃないかな、
などと思いまする。

んで、最近の殺伐した事件の連続ってのは、
何が足らんからそうなったのか、って
まあ、いろいろ新聞とかにも書いてはいるわけですがね。
金が足らないとか、そんなもんじゃないと思うんですよね。
経済的観測から言えば、不況の時に事件ってのは発生しますが、
現時点での多くの人たちってのは、
ホームレスもひっくるめて、
金なんて、ホントは必要ないんじゃないかねぇ。
金よりももっと逼迫したものが必要なのじゃないのかねぇ。
それって、やっぱ俺は居場所だと思うんだよね。

水あるところに、人とか動物の居場所ってのが、できてきたわけだよね。
歴史をもう一回紐解くとね。
インダス川とか、ナイルとか、稲生川(我が故郷の川、奥入瀬の支流)、
それぞれに文明とかが、うまれるってのは、
やはりそこの水が培っているわけでしてねぇ。

話はそれるけど、
先日のうちの母ちゃんに続いて、その兄貴のオジサンも
連休中に、急になくなってしまったんだよね。
俺は、それでまた、ようやく少しばかりふっきれつつあった、
気持ちってのを、またぶり返されて、
そんで、田舎に帰って葬儀に出てきたわけだよね。
(ホント、疲れるよ、心身ともに)
その場は、最近のうちのオフクロのこともあって、
もう、フンダリケッタリ状態で法要やったりしているわけなのだがね。
ところが、ちょいと思いっきり悲しんだ後、
妙に、その葬儀の場所とか、親戚の家とかが、
居心地いいわけだよ。
もう、一族は思いっきり自分たちの生まれ育った故郷について、
あるいは死んでいった人たちの思い出話を、
ケラケラわらって喋りあっているんだよ。

俺は思ったんだよ。
死んだ人が、生きてきたことの記憶を
その死によってさらしだしてくれることによって、
俺は、俺の居場所を確認しているんだってね。
いずれどこで死ぬのかわからないけど、
俺って人間は、ここの場所で生まれて育ったんだ、
ってのを、死んだ人たちの残した木とか、土とか、空気とか、花とかと共に、
生き残っている人々とわかちあったんだよね。
不思議と愉快だったんだよね。
(少しオセンチになっていたのは否めないが)

そして、水ね。ひしゃく星ね。
それから金ね。
金、じゃないんだよね。
居場所さえあれば、それこそ賭け値なしに、金なんてさ、
いらんだろうさ。

最近じゃあ、減反政策で、農家も田んぼ耕したら損する時代。
明るい農村ってのは、稀有になってしまった。
から、こそ、
俺は、東京で、井戸掘るつもりで働いてんのかな、
なんて思ったんだ。

わかる人にはたまに言ってるんだけどね。
俺は、プランやコピー売っているわけでも、
カフェで酒売ってるわけでもなく、
居場所っていう価値を売ろうとしているんだって。
それぞれの街に、ひしゃく星のような井戸さえあれば、
酒も飲まずに、水飲んでるよ。
仮に自分の老後の安心が見えていれば、
サラ金に火つける必要なんかないだろう。

まったくあのバカ犯罪者、
火つけたらちゃんと水ぶっかけて消せ、このアホ。

心身ともに、今、人は水不足なんだよな。
御嶽山にでも上って、滝浴びてくるべきかね。
(あんなきついの、二度とやるか!って逃げてるわけではない)

わが身も少し、枯れ気味です、正直。

2001.5.11.

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