古い文章を読み返していたら、こんなのがありました。
2004年の師走で、ライブをやる自分の店で毎日カクテル作って、DJのターンテーブルいじっていた頃の12月で、相当忙しい頃の朝方、目が覚めてからの数時間、自分の両親にひたすら年末年始に帰省できない言い訳を考えていた夢のような数時間がありました。
西荻窪から荻窪の店までの間を自転車で歩いている間に、急に、自分の両親が不在であったことに、気づき、途方もない、あまりにもやるせない虚しさを感じたのを覚えています。
この頃から、ぼくが考えることは、すべて、自分の故郷、十和田市の太素塚裏の生まれた家に集約されるようになったようです。
伝言
海岸沿いを走る単線の電車に、父親と乗る。
会話はとりとめなく、ゆっくりと、電車は走る。
窓から見える背景は、あかるい海。
いくつもの波がゆるやかに押し寄せる。
その向こうには、くっきりと水平線。
天気は晴れ。日の光が眩しい。
こんな幸福な気分になったのは、本当に久しぶり。
きっと、二人は小さな旅行をしたあとだ。
私はその電車に乗っったまま、仕事場へ行かねばならない。
故郷へ帰る父親は、次の小さな無人駅で乗り換える。
ドアが開く、私達は席を立つ。
不思議なのは、はるかに背が低い父親なのに、
私は、やや上目づかいで彼の顔を見る。
驚くことに、父親は、両手で私をギュッと抱きしめる。
アメリカのドラマみたいなことされるの、はじめてだ。
そして、父親は、それはそれは満面の笑顔で、言う。
まあ、春先までやってみろ。
そしたら、その時、またあとのことを考えればよい。
そういって手を振る父親を残して、車中の私は彼を置き去りする、
別れの手を振る父親が、どんどん遠く、小さくなる。
小舟のようなプラットフォームから、
父親が乗るべき線路は、海上の水平線の向こう側へつながるのだが、
どこへ向かうというのだろう。
私の生まれた故郷へ、本当につながっているのだろうか。
いや、もっともっと、いいとこ、じゃないのか。
日の光、押し寄せる波、きっとこれから彼が飲んだくれる、
おいしいビールのような、泡。
それは、夢だった。
目を覚まし、日課のアレコレをすまし、仕事場へ自転車を走らせる。
今年の暮れも、申し訳ないけど、故郷へ帰れない。
ようやくホンキで目標ができたんだ。
次はすごいよ、天下とるよ、だってアレも、コレもようやく芽が出てさ。
母さんには、春先に行く、って言ってください。
お金は送らなくて大丈夫です。
も少ししたら、落ち着くので、そしたら、
オジチャンとか、オバチャンとか、本家の人達とかと、
一緒に十和田湖の温泉へ行きましょう。
もっと景気よくなったら、またイタリア旅行、行きましょう。
あれこれ、言い訳を考え続ける。
赤信号の交あ差点で、自転車を止める。
ブレーキ音がキュッとなる。
目の前を、大型トラックが、轟音立てて通り過ぎる。
そして、 はたと気が付く。
すっかり忘れていた。
私の父親も、母親も、どちらも死んでしまって、いないのだ。
全く、絶対、この世にも、故郷にも、いないのだ。
と、いうこと。
だが、愕然とするなかれ。
光の旅人が、やってくる。
ズタ袋下げて、かならず、やってくる。
サンタクロース顔負けの、音のお土産いっぱい詰め込んで。
やっぱり、 この世の中、
まだまだ、 捨てたもんじゃないんだよ。
って、母さんにも、言っといて。
2004.12.9.
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p.s.
今、私は、幸せで、大丈夫。
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