ショーケン、萩原健一が死んじまったよ。
68歳だったってさ。10年違いだったんだね。たった。いや、そうでもないか。まてよ。
先日の内田裕也につづいて、ロッケンロラーな人の旅立ちがプチブームなのかな、などと。
思い返せば、萩原健一、ショーケン、本当に好きだった。
歌手、役者、犯罪者、詩人、なんというか
ある種、表面的な、というか自己表出の仕方、という部分では、
最も影響を受けた人なのかもしれない。
いや、もしかしたら、ショーケンのような表現者が自分の生きてゆきたい自己表出のスタイル、
その代表的なのがショーケンなのかもしれない。
語呂は重なりますが、ショーケンのような、
どこか本気のようで、かりそめのようで、ロマンチックで、バカらしくて、
みたいな立ち位置が自分としては、あこがれているようです。
(実際は、ただのバカらしい、と見られがちですが)
(というならば、ただのバカらしい、ではなく、ただのバカですが、ただではなく100万円です)
で、表現者、役者としてのショーケン、
近年、年食って、小太りになって、ちょっと、と思ったけど、
(なんだ、それ、俺じゃねぇか)
けど、ショーケンって、どうにでもなっても、ショーケンで、好きなんだろうね。
実際、太っちゃってどうよ、と思っていたけど、
昨年末の吉田茂を演じたテレビドラマでは、あんぱん口の演技がすごかったね。
演技がスゴイ、とか上手いとか、という判断ではなく、
言ってみれば、「やっぱり役者じゃのう」という感覚だったし、
おそらくは、ずっと、そういう役者としての表現者であるショーケンの
映画やテレビでの活動や、ライブでの歌が、好きだったんだろうな。
ショーケンの何が一番好きかっていうと、一言で言えば、
ナルティシズッム=自己愛、ってことになるだろう。
この人ほど、自分を愛して、好き好きな表現者って、なかなかいないんじゃないか、
と思えるほど、一番好きで好きで、レコード聴きまくり、真似しまくった10代末から20代中盤まで、
つまりは、
ショーケンが好きな自分って、自分が好きってことをメディアを通して公然と認められるような、
そんな感じが、ショーケンにあった。
瀬戸口寂聴さんだっけ。いや、誰だっけ? 俺だっけ?
ともあれ、ショーケンを詩人のアルチュール・ランボーに例えたような話を見たり聞いたりして。
やっぱり、これも、80年代か。
ホント、ショーケンのマネっこしていた自分を思い起こすと恥ずかしいくらい、やはり当時の自分が大好きだよ。
ここまでおしゃれになれなかったけど、ショーケンの影響で、バイトでちょいと余裕がでると、ことごとく服にお金かける時期があったね。
とくにドラマ「傷だらけの天使」の影響で、JUNが好きで、バーゲン(グランバザール)あると、買いあさりにいったね。(とはいっても予算は5000円くらいまでなので、1着だけだったけどさ)
特に、エンジ色のシャツが好きで、何枚ももっていたね。周りには「赤シャツ」と俺を呼ぶやつもいたけど、そういわれて、うれしがっているオレって、
ああ、なんて、自惚れのナルティストなんだろう。
今でも、そういうところは、あるらしい、かもしれない。という噂を聞いたことがあるやら、自分で流したやら。
ハロー・マイ・ジェラシー
なんて素敵なタイトルなんだ。
ハロー、グッバイ、ショーケン、ザ・ランボー