こどもはみんな、桃太郎のように流れてきた

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先日の天上天下唯我独尊の
泣げっつの話で、
本当に久しぶりに、
自分の生死観のはじまりを
思い出した。

はじまりも、終わりも、
それは稲生川だった。

オラは、稲生川から
桃太郎のように流れてきた。
その稲生川で、
オラのおじっちゃは、死んだ。
というのを思い出して、
腑に落ちた。

オラが、死、という人の定めがあることを
否応もなく知ったのは、
おじっちゃの稲生川での死だった。

太素塚裏の家で
物覚えついた頃から、
父親は時々、
オラを庭の物置小屋に呼んで
壁にひっかけてあった金盥を指さして

「オメはこれに乗って稲生川から流されで来たんだ」

と説明した。

母親も便乗して、

「オメは桃太郎みたいに、流されで来た」

と行った。

それを聞いてオラは、
一抹の寂しさを感じながらも、
桃太郎が大好きだったので、
結構うれしくて、得意になった。

その後、段々とそれは
こさえた話だと分かってきたが、
それでも、
自分は稲生川から
流されてきたイメージが強く残り、
やっぱり得意な気分だったに違いない。

その頃から50年以上を超えた。
2年前、
中学の同期会に出た時に、
保育園の同期だった
トモヒコに

「オラは、稲生川から流れてきた」

と自慢げに話したら、

「オラも、流されできたよ」

と普通に返してきた。

さらに加えて、

「十和田のこごらへんのこども、
 あの頃、みんな流されてきたんでないの」

と、
さも当然の如く話してきた。

「そうがぁ、流されできたが」

「んだよ。みんな流されできた」

とトモヒコは言った。

で、また一つ分かったのだった。

自分が、妙に、稲生川に執着する理由。
明らかに思い出した、
5歳の頃、
家につけたばかりの電話が鳴り、
母親が受話器を取るや、
泣き出した。

怒ると般若のように恐い母親だったので、
母の涙と嗚咽を聴いて、
とんでもなく驚いた。

母親が泣くなんて信じられなかった。
知らせは、
おじっちゃ、
つまりは、
母親の父の死の知らせだった。

その後の盛大な葬儀やら
いろいろな体験から、
オラは人の死に遭遇した。

いろいろ沢山の行事やら
人の集まりや話し合いや
ご詠歌なんかの唄があって、

おじっちゃは、
完全にいなくなってしまった。

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