3冊目の「武士道 BUSHIDO THE SOUL of JAPAN」新渡戸稲造

[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]
このエントリーを Google ブックマーク に追加
LINEで送る

最近、古本屋で処分した本の再発掘がマイブームだ。
今回は、新渡戸稲造「武士道」の岩波文庫本。矢内原忠雄氏の訳本。20歳前後に初めて読んだ。確か、訳文が何か妙に固い文体で疑問に思ったのを覚えている。
岩波文庫本は、一度一括処分した中に入っていて、岩波文庫は、おそらく10年ぶりくらいにまた再入手ということになるか。
何せその頃確か100冊くらい残して大量断捨離したのだったなあ。
その後、山本博文氏の訳で読み直し。

新渡戸稲造「武士道」の岩波文庫本から~原文を読んだのか?記憶は定かではないが

いま、あらためて矢内原氏の訳文で確認したが、やはり稲造博士が最も影響を受けた哲学者カーライルの文体の影響を受けているらしい。
で、当時、英文科の学生だった自分は、原文を読んだのか?記憶は定かではないが、確か眺めたような気がする。

新渡戸稲造が「武士道」を英語BUSHIDOで著さなくては、今、あり得なかったこと

勉強不足の学生だった自分を自嘲しながらも、前々から、もっと現代の日本人が新渡戸稲造氏の功績を讃えるならば、自分としては、この「武士道」が、日本人の新渡戸稲造氏によってアメリカにおいて英語で書かれ英語で出版され30カ国以上の国において出版された世界的なベストセラーであることを再認識すべきだと常々思っていた。
新渡戸稲造氏ゆかりの地となる我が故郷青森県十和田市においても、「武士道」の原文が英語であったことを知らない方が結構いるのを知っている。
後々、格闘技競技のK-1でも、BUSHIDOがサブタイトルになるなど、カラテ、ジュードーの分母の言葉となるBUSHIDO。明らかに稲造氏が「武士道」を英語BUSHIDOで著さなくては、今、あり得なかったとも類推できる重要な出来事である。

今こそ、新渡戸稲造が何故、アメリカでBUSHIDOを英語で書いたことを読み解くべき時

世界が幾度目かの混乱期。パンデミックにせよ、アメリカ大統領選にせよ。
今こそ、新渡戸稲造が何故、アメリカでBUSHIDOを英語で書き、何故にカナダて客死せねばならなかったのか。読み解くべき、その時ではないか、と思う。
新渡戸稲造はなぜアメリカでBUSHIDOを書いたのか?
その疑問と答えを、
「ダイナマイトと武士道」というレトリックとして、ぼくは喩えているのだが。
また後ほど動画にて。
原文も読んでみたいのだが、、ね。
タイトルとURLをコピーしました