父親の晩年にこれが最初で最初と思いイタリア旅行に行った時のこと。
憧れのローマから一気にベネチアに、病上がりの父親を無理矢理飛行機に乗せて連れて行った。
退院する際に、医者が、この先、あとどんくらいか、あれくらいか、わからないが、長くない、ってので、半ば無理矢理。
当時広告代理店勤めで、仕事で訪れたことがあるローマ。しかも専属ガイド付き、マンツーマンで名所をいろいろ解説してもらった俄か知識を披瀝してやるべ。
新幹線で東京さ来た父親と成田のホテルに前泊した夕方、しこたまホテルのレストランで酒飲んだら、
「おら、はあ、これでいいじゃ。十和田さ明日帰ってもいいじゃ」
というのを無理矢理たきつけて、翌朝、
飛行機乗ってビール飲んで一晩経ったら、ローマさ着いだ。
「どんで、父さん、ヴァチカンさいがねすか!」
「いぐが」
タクシーに乗ってヴァチカンに行った。
どうだ、これがヴァチカン宮殿だ、と壮大な建築群を真っ青な青空をバックに見ていた。
「ほう、たいしたもんだぁ」
と呟く父親。だが、ずっと地面ばかりを見ている。
なに、地面ばっかりみているのかと、父親の素振りを見ていると、どうやら地面の舗装や水路らしき土木設備に見いっている。
その後、ホテルに入っても、中庭のメンテナンスをしている男性の動きを見て、この水道は大したもんだ、と感心していた。
ヴェネチアのサンマルコ広場に行っても、舗装した路面と、水路を見ていた。
ほお、ほほお、ほおおお。
と石の舗道と建物の柱の土台ばかりを見ていた。
ヴェネチアの有名なリストランテでイカ墨スパゲッティーを注文したら、
「なーんもこったらの、下北(半島)の人んど、むがしがら食ってらった」
と一口食って、
「は、いいじゃ。握り飯さ味噌つけで焼いだの食てぇな」
といい、赤ワインをすすると、
「ワインもいいけど、酒っこのみてな」
なんだば、かんだば。
その後、そんな話を土木関係の人に話した。
土木会社の技術者の方々が社員旅行に行くと、社員はみんな下、道路の路面や水道の配管関連ばっかり気にして見ると聞いた。
ヨーロッパ、中東までを席巻したローマ帝国だが、
かつて隆盛を誇ったギリシアの人々が、雨にはドロ道を歩くとき、
ローマは、石の舗道で颯爽と馬車が走っていた。
だなす。
水道は、町の血脈なんだね。
山神さま。
んだ。
すべての真実は、地下さ潜入しないと、わがらね、もんだ。
なす。
んだ。
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