十和田市太素塚太素祭で、敬々が「夕焼け市」を歌った

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2019年令和元年の太素塚太素祭が無事に、盛況に終わった。
個人的には、開催日直前までの請負の仕事がギリギリまで続き、身体的な疲労が精神的な克己心で乗り越える頃ができず、まったくもって最後の最後までギリギリの体力で故郷十和田まで乗り込んだ、というのが正直なところである。それでも、やはり自分の故郷の幼い頃からの記憶をよみがえらせてくれる祭りに遭遇するうれしさは格別だった。

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不条理の状況の中、太素塚で行われる太素祭

太素塚(たいそづか)で行われる太素祭(たいそさい)は、元来が十和田市が主体となって行われていたものだが、3年前からは太素塚とその中に立地する新渡戸記念館のコンテンツや文化の普及活動を主体とするボランティア団体が主体となって構成する実行委員会が中心になって行われている。

そもそも太素祭が行われる太素塚という森は、立地する十和田市が原野だった頃に開拓を率先した新渡戸傳(にとべつとう)氏、開拓事業を実践化した息子の新渡戸十次郎氏、そしてその息子新渡戸稲造氏、新渡戸三代を祀った場所であり、日本全国で喩えれば捉え方は若干違うが靖国神社的な聖地である。そして、そこに新渡戸稲造の文庫(書庫)を母体とした新渡戸記念館という博物館があり、十和田市の開拓の歴史や書物が展示されている。そして、新渡戸稲造のここでしか見ることのできない貴重な資料や遺品が展示されている。だが、その新渡戸記念館は、2016年3月に突如耐震問題で休館になり、さらにそれから6月には廃館という処置をされてしまい、扉を閉じたまま今現在に至る。廃館とはいっても、当初は、近々に中に保存されている宝物や資料、書物類を無償で市が取り上げ、建物自体をさっさと解体する、というとんでもない処置が宣告されたのである。しかも2月の耐震検査から何と、たったの4ヶ月で、これでもか、というくらい超スピーディかつ強引な展開である。

あたかもギリシア神話の不条理劇のような

事の顛末は説明するには複雑すぎて別にまた述べたいが、その新渡戸記念館廃館を巡って十和田市という地方都市の自治体と、新渡戸記念館を運営し、かつ太素塚を公園として無償提供してきた新渡戸家は係争中である。まさに、大切に生まれ育った子どもともいえる十和田市という自治体に敵対されてしまう、というあまりにも物語的な苦肉の展開になっているわけである。

新渡戸記念館の廃館問題が勃発した翌年から、ある種、インディーズ宣言をした格好で再起し、太素塚が自主で太素祭を行うようになって3年目。わたしがボランティアスタッフで参加するのも3回目で、今回は、ライブのブッキングを提案させていただいて、ライブバー経営時代からのつきあいのシンガーの敬々のライブが実現した。

ぼくが太素塚で聴いてみたかった敬々の歌、ちょっと聴いてみてください。

夕焼けちょっと前の午後、太素塚の新渡戸記念館の前で歌った敬々の歌「夕焼け市」


撮影:田中真理子

2003年だったか。東京の荻窪の当時経営していた店で、敬々という八戸出身の歌い手が突然現れて(そもそも店に客は突然現れるものなのだが)、南部弁を交えながら、時にシリアスに、時に酔っ払い、時に全くホジなくして(正気をなくしたとでも翻訳しましょうか。ほんつけなし、ほんずなし、と地域によって若干違いますが)東北のこと、青森県のこと、南部地方のこと、そして、太素塚のことを話した。

敬々がライブでこの「夕焼け市」を歌うのをはじめて聴いたとき、一番最初に脳裏に浮かんだのが、十和田市の太素塚から見た夕日、そして、官庁街通り(現駒街道)から見た夕日だった。

太素塚のすぐそばの裏側の家に生まれ育ったおかげで、太素塚の夕暮れには遊びにいったり、母親と買い物にいったりしたときに印象深く心に刻み込まれた風景だった。そして、官庁街通りの夕暮れは、おそらくは中学の時の通学路の夕暮れの記憶が残ったものなのだろうと思う。さらには、太素塚のすぐそばの畜産組合のせり市が開かれると、おばさんたちが割り箸にさした丸いそば餅を売っていて、団子やあんこに目のないぼくの母親が「そば餅買ってきてけろ」とそそくさと小銭をよこした。

そんなことを、敬々に話していた。
十和田市は夕焼けの町なんだよ、といつも敬々に言っていた。

敬々が「夕焼け市」を歌うたびに、すでに両親も他界しても抜けの殻のままの残された実家を思い起こし、何かきっかけがあったり、ことあるごとにリクエストしていた。

敬々も、小学生の頃、八戸から太素塚前の太素閣という旅館を経営している親戚の家に、ちょくちょくバスに乗って遊びに来ていた。がゆえに、太素塚の「あのあたり」の夕暮れの風景は、互いによく理解しあっており、敬々の持ち歌の「夕焼け市」は、われわれの子どもの頃の記憶のなかの「あのあたり」としての共有された。

太素塚に背景にある、十和田の開拓の歴史、先人たちの努力、涙、笑い、いろいろあるだろうけど、時が経ち、歴史の面影も見えなくなりがちになるけど、誰もが分かち合える、風景、の中に時を越えて共有できる財産があるのではないかな、と、思い、いつか敬々が「夕焼け市」を太素塚で歌うのを聴いてみたかった。

歌うタイミングは夕暮れにはちょっと早かったけど、風景に乗せて、今一度聴いてみたい。

新しい何かが、はじまる。

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