メディアをつくる、ということ

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今年になってから、メディアプロデューサーと何をか偶然に出会い、影響を受けて、新たに自分自身のメディアの制作に取り掛かっています。

メディア、というと、じゃあ、また新聞やら、チラシやら、パンフレットやらをつくるわけ、ということになるのですが、まあ、そういうわけで、そうでもないし、またそうでもある。

結論からいうと、

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インターネットの表現を自分なりにどのように集約するか、という結論をある種のフォルム化することをイメージしている。

だが、それが、どういうものになるのか、それは未だに説明できない。

ただ一ついえることは、2009年から数年間、ロックライブやロックフェス、お笑いライブのプロデュース、インターネットのセミナーみたいな、ある種単発的、そして瞬時爆裂的なものでもない。

端的な言い方をすれば、インターネットの新聞みたいなものだろう。といっても、そんなものいろいろ既にあるじゃないか。という言い方もでてくるのだが。

ともあれ、今、ちょっとずつ作業している中で、自分が、80年代後半に「広告」という当時のカテゴリーの仕事に一つの憧れを持ち、携わり、誉れを持ちながら仕事をしてきたことを思い返す。

所謂バブルという短い期間だったが、人は、メディアというもの、特にマスメディアの作り手や操作する仕手になりたがっていたはずだ。

だが、時は変わり、メディアを構成する要素や、人の期待感、価格の体系など、全く違い、メディアはそれぞれの人たちの手の中に、スマホを中心に入っている。

テレビの影響力は維持されながらも、実は、SNSが、テレビを影響している。さらに、マスメディアのニュースがSNSで解体される、という間逆的な動態も、あるわけである。

今更思うに、現実世界の中で、手短で最も強いメディア、というのは、とくにカルチャー、サブカルチャーにおいては、「独立店舗」ほど、影響の強いメディアは、ない。というのが、実際に「店」というメディアを経営して、5年半で、へたばった自分自身をなぞらえて、確実に思う。

店は、メディア、である。

で、広告というメディアの土台から抜け、独立店舗へ移り、そこから転げ落ち、ころころ転がって山奥で修行僧の酔っ払いのような暮らしを2年して、花の東京へ戻った自分は、新たに、東京がつまらん、東京が輝いていない。などと、思い、そのあげくに、そうか、メディアを作ればいいのだ、と気づかされたわけだ。

そのメディアづくりが、新たな自分の店、そして、新たな表現を発信するキーステーションとなれば、などと思い、しばし、やっつけ仕事を2、3本同時進行しながら、やりつづける。

というわけで、着手したメディア制作の概観は、自分自身でもまだまだ説明できるわけでもなく、こんな曖昧な表現となるわけなのだが。

だが、こんな文章でも、いざ、紙媒体(こういうときはバイタイという)を作るときは、俄然役立つ原稿となったりする。

一見ムダ話も、メディア制作の一貫なのである。

トップの写真の招き猫は、山梨県石和市の居酒屋 市松で撮影したものです。
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