路地と武士道

路地と武士道

歩きはじめよ、と、男はいった④ 直感

この写真が掲載された写真集を手元に置くようになったのは2002年。それ以前は十和田の実家の書棚に置かれていた。 前年に母親が他界し、翌年に父親も続けて逝ってしまった。その2年間の間に、家族や仕事に怒涛のような変化がおき、何度も...
路地と武士道

歩きはじめよ、と、男はいった③ 別れ

2008年の暮れあたりに参加したビジネスセミナーに申し込みするにあたって、セミナー講師から事前の課題を与えられた。 それはこれから10年先までの人生計画書を書け、というものだった。2009年から2018年まで一年毎に己が成し遂...
ダイナマイトと武士道

歩きはじめよ、と、男はいった② 六本木

2008年の師走が近い頃、仕事が停滞して途方に暮れたあたり。一念発起して友人の紹介で知った六本木で開催されたビジネスセミナーに参加してきた。そもそも、二十代はセミナーの会社で企画の仕事をしていたが、自らがセミナーに参加するなんてはじ...
オチボ新聞

【オチボ新聞】人は学びに飢えている

仕事の関係で、最近は、社会人向けの一般教養の講座をいくつかうけたりしています。 いわゆるカルチャーセンターですが。 主には、宗教(仏教、キリスト、ゾロアスター)、考古学、歴史関連です。
路地と武士道

綿菓子泥棒を捕まえろ!

写真出典:太素塚太素祭実行委員会 ぼくにとっての太素塚記憶のはじまりは、 太素祭(たいそさい)というお祭りでの出来事だった。 こどもこどもでありながらも、ぼくという個人が、 世界のしくみ=システムに気付くきっかけ...
太素塚の遊び方

空想科学の森、太素塚。

既成の世界観に固められてない、 想像力が無限に広がりづつける子供にとって、 自然というものは、さまざまな異郷を連想させる。 ぼくが太素塚の裏の家で生まれ育った育った1960年代当時の流行った アニメや漫画...
路地と武士道

太素塚の遊び方

子供たちにとって、太素塚の中で、 もっともスリリングで面白い場所は、 新渡戸傳、その息子十郎、さらにその息子の稲造、 十和田市の開祖新渡戸三代の三つ並んだ記念墓碑だったと思う。 本来、太素塚は、埋葬された新渡戸傳とい...
路地と武士道

聖地として、遊び場として

ぼくが生まれたのは、太素塚の裏の路地裏の平屋の家だった。 ものごころついた頃には、ただ普通に家の窓から太素塚の森が見え、 ただ当たり前のように、太素塚の森の中で遊んでいた。 ぼくが生まれた1960年代は、高度成長期であり、...
路地と武士道

やさしさが溢れる、ほんつけなしの場所

ぼくが生まれ育った太素塚の裏の路地、通称「太素塚裏」は、 ぼくの世代の子供たちが成長する勢いに比して、 生命力を発揮していたように思う。 後に必ずさらに整理して述べるが、 太素塚とは、何か。
路地と武士道

夕焼けを見る理由

夕焼けは西に沈む。 十和田市を夕焼けの町だ、という理由。 日は東から昇り、西に沈む。 これは世界中、どこに行っても同じことがおきる。 幼い頃のぼくにとって、夕焼けとは、なんだったのか。 お父さんがバイク...
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