「 新渡戸稲造は、なぜ武士道をアメリカで書いたのか 」一覧

見晴台から、ずっと。

見晴台から、ずっと。

は、ものごころついた頃、おそらくは3歳頃から、 その高い視点に気づき始めていた。 何故ならば、私は、 今から150年前に狂気的な才覚と計画力と実行力をもつ人物、 新渡戸傳氏と、その子息である十次郎氏と、さらにその子息の新渡戸稲造氏の 墓を祭った太素塚を中心に、世界を体感し始めていたからだ。

キミの死ぬところはこんな淋しいところじゃない~2018年太素祭160周年記念スタッフ参加を終えて 映画「どついたるねん」を想い起こした

キミの死ぬところはこんな淋しいところじゃない~2018年太素祭160周年記念スタッフ参加を終えて 映画「どついたるねん」を想い起こした

広告代理店勤めをしていた二十代の末期、会社の先輩のセコチンのマンションで、土曜日の半ドン明けの午後、ビデオで観たんだが、映画の終わりのエンディングで、あまりに深く感動してしまって、そそくさと新中野のその場所から立ち去ったのを覚えている。

利根川から、稲生川へ、そして、中上健次の海へ。

利根川から、稲生川へ、そして、中上健次の海へ。

前橋の街中を抜けて、利根川沿いにたどり着き、 ついに念願の大渡橋を渡り歩きました。 橋の欄干中央から、利根川の流れを見ていました。 流れる川の水と遠くの荒涼たる山々の背景が、 またどこか自分の故郷の稲生川、奥入瀬川、八甲田山に 通じる感触を覚えます。 稲生川も...

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