新渡戸稲造は、なぜ武士道をアメリカで書いたのか一覧

新渡戸稲造がダイナマイトを自ら製造し、爆破させたという事実を、キミは知っているか。

話はかわって、稲造がダイナマイトを作った頃と同時期の幼少期のぼくの話だ。 太素塚の裏に暮らしていたぼくの父親は、土建会社にずっと勤めていた。 ものごころ付いた頃は、毎朝朝一番の5時に家からバイクのスーパーカブで数分の稲荷神社近くの会社の車庫の鍵を開けに行き、それから6時ぐらいに帰ってきて、朝飯を食べてから、新たに出勤するという日課だった。

見晴台から、ずっと。

先日、同郷の小学、中学の同期生の家に訪問して酒を飲みながら語った。 私は、何故に東京にいて、齢50になりながら、 故郷青森県十和田市について叫ぶのか。 集まった同郷近郊の友人や家族と語った。 私の生れた青森県十和田市の話にしても、一つの枠で言い切れない世界がある。 ...

キミの死ぬところはこんな淋しいところじゃない~2018年太素祭160周年記念スタッフ参加を終えて 映画「どついたるねん」を想い起こした

広告代理店勤めをしていた二十代の末期、会社の先輩のセコチンのマンションで、土曜日の半ドン明けの午後、ビデオで観たんだが、映画の終わりのエンディングで、あまりに深く感動してしまって、そそくさと新中野のその場所から立ち去ったのを覚えている。

利根川から、稲生川へ、そして、中上健次の海へ。

前橋の街中を抜けて、利根川沿いにたどり着き、 ついに念願の大渡橋を渡り歩きました。 橋の欄干中央から、利根川の流れを見ていました。 流れる川の水と遠くの荒涼たる山々の背景が、 またどこか自分の故郷の稲生川、奥入瀬川、八甲田山に 通じる感触を覚えます。 稲生川も...

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