「 なぜか武士道 」一覧

日本人が日本人であることを忘れがちな昨今、なぜか武士道、なんてフレーズありふれているようですが、実は深刻な日本の問題ですね。新渡戸稲造が著した「武士道」は、アメリカのカリフォルニアで英語で書かれた書物です。しかも、新渡戸稲造は、(当時)岩手県盛岡市生まれなのに、札幌の農学校で学んだあと、東京大学を中退して、アメリカに渡り、 東京女子大学初代学長、台湾総督府において開拓の指導者となり、国際連盟事務次長を務めるなど多方面において活躍しました。ここでは、近代以降の武士道の発祥について探求してゆきたいと思います。

山神 土木の眼差し

山神 土木の眼差し

父親の晩年にこれが最初で最初と思いイタリア旅行に行った時のこと。 憧れのローマから一気にベネチアに、病上がりの父親を無理矢理飛行機に乗せて連れて行った。 退院する際に、医者が、この先、あとどんくらいか、あれくらいか、わからないが、長くない、ってので、半ば無理矢理。 当時広告代理...

山神 開拓の身体脳

山神 開拓の身体脳

2017年。今年の5月に太素祭に行った際に、十和田三本木原開拓市のある種決定的な証跡となる幻の穴堰の見学に行ってきた。そのレポートを書くつもりで撮った写真の中で、強く我が心を射止めてしまったのが、南部土方衆の残した石碑「山神」である。 幻の穴堰 幻の穴堰とは、新渡戸傳の開拓事業の後継者で...

新渡戸記念館は、圧倒的に勝利する運命にある

新渡戸記念館は、圧倒的に勝利する運命にある

微動だにしなかった旧友が送ってくれた新聞の切り抜き 青森県在住の長年交信のなかった友人が、新渡戸記念館訴訟関連新聞の切抜きを送ってきてくれた。 一歩も動かなかった彼が動くのである。故に、人は動く。 新渡戸記念館は、この訴訟関連の動向に関して、圧倒的に勝利しなければならない、とぼくは考え...

悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない太素の森で

悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない太素の森で

深い森の緑に抱かれ 今日も風の唄に しみじみ嘆く 悲しくて 悲しくて とてもやりきれない この燃えたぎる苦しさは 明日も続くのか 「悲しくてやりきれない」(作詞 サトウハチロー 作曲 加藤和彦)より タイトル、イントロ、最初のフレーズから、すべて...

利根川から、稲生川へ、そして、中上健次の海へ。

利根川から、稲生川へ、そして、中上健次の海へ。

前橋の街中を抜けて、利根川沿いにたどり着き、 ついに念願の大渡橋を渡り歩きました。 橋の欄干中央から、利根川の流れを見ていました。 流れる川の水と遠くの荒涼たる山々の背景が、 またどこか自分の故郷の稲生川、奥入瀬川、八甲田山に 通じる感触を覚えます。 稲生川も...

美しい、の背後に蠢く巨大な 「?」

美しい、の背後に蠢く巨大な 「?」

アメリカが動き出す。 その蠢きには、ほぼ経済活動を見込んでの破壊活動が付きまとう。 愛と殺戮と破壊とだまし合い。 矢先には、覇権を見越した打算が見えてくる。 またかよ。 美と、破壊と、覇権と、欲望がループする。 などと思案していたら、ひとつのキーワードが見...

新渡戸記念館 瓦礫の向こうに見えるもの

新渡戸記念館 瓦礫の向こうに見えるもの

この写真は「武士道」の著者である新渡戸稲造の蔵書と十和田市の開拓の資料を保存する新渡戸記念館が在る青森県十和田市の太素塚の入口にある鳥居、あるいは門が1968年5月16日に起きた十勝沖地震によって倒壊した記録写真である。 不安の闇の中で何故か太素塚の鳥居を思う 東日本大震災が起きた2011年...

土方の町 

土方の町 

ぼくが故郷 青森県十和田市の開拓史の凄みを知ったのは、実は上京してから出会った中上健次という小説家の作品からだった。 そこから、ジャズ、ブルース、マルケスとの出会いにつながってゆく。 中上健次の作品「 枯木灘」でであったワンフレーズに衝撃を受けた。

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