十月の闇市

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十和田の中央病院で、青年から電話を受けた週の半ばに東京に戻り、彼と荻窪の店で打ち合わせをした。

初めて会う青年は、やさしい面立ちで実直な口調で、親しみ深く話してきた。話した瞬間から育ちの良さがわかる。が、ちょっとばかり不思議な汗が額から滲み出ていた。




彼が持参した一枚の企画書には、ライブのタイトルが、文字そのものが劇画のように描かれていた。

唄の闇市

彼が敬愛するミュージシャン泉谷しげるのアルバムタイトルをオマージュしたものだった。

唄の市、ならぬ、唄の闇市、

話しているうちにわかったのは、彼はぼくが20代から懇意にしているパンクロッカーのつながりでやってきた。彼自身も自身のパンクバンドでインディーレーベルからCDをリリースし、希少ながら海外にもファンを持つミュージシャンだった。

さらには著名なロックミュージックの雑誌の編集者の職歴も記されていた。

彼の外容を認識しながら、再度彼の描いてきた手書きの劇画文字の企画書を読む。

唄の闇市

出演するミュージシャンは、フォーク、ロック、民族音楽、パンク、様々だが、皆ソロの弾き語りで、闇のようなステージで、唄の闇市を開く。

荻窪の店の内装は、昭和の錆びれた街角のタバコ屋を装置した。闇の唄を闇で取り引きするには絶交のステージであったらしい。実はすこぶるチープな内装であったのだが。

様々な条件を整えて、彼のライブイベントは、毎月第三土曜日の夜に定期企画として次月の十月から、開催されることとなった。

打ち合わせが終わり、彼が店の重たいドアを開け、三階からの階段を降りる前に、握手した。その手はさほど力むこともなく、額にはやはり汗が滲んんでいた。編集者時代に心の病気を患ったと聞いたのを思い返した。そして、共に笑顔で別れた。

店の中で一人に戻り、昭和の錆びれた街角のタバコ屋のオブジェの前で、劇画文字の企画書をまた見つめながら、タイトルを読む。

唄の闇市

闇の中で、唄の市を開く。

今、まさに自分自身を鼓舞するような響きを覚える。その企画で、閉めようか迷っていた店の一年間の続行を決心した。

その翌週、9月末日、父親が他界した。

翌月、第三土曜日に、初めての唄の闇市が、荻窪の店で開かれた。




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