誇りと魂に磨かれたチャンピオンベルト|変身忍者 佐藤豪追悼ライブ@荻窪ドクターズバーにて

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2019年7月23日(火)変身忍者 佐藤豪追悼ライブへ行った。

場所は荻窪のドクターズバーというライブハウス。

佐藤豪のライブ人生の後半の拠点となる場所だったはずである。

本来は、7月のその日を加えて10月までの全4回、佐藤豪はライブ企画のブッキングを入れていたらしい。

店のオーナーが佐藤豪に直接面談の上、仮に何が起ころうともその日にライブを入れるという約束をした上で、本人の亡き後に追悼ライブという形になったという。

変身忍者 佐藤豪 追悼ライブシリーズのタイトルは「ファイトマネー」

結局本人の最期の遺作となってしまったこの曲は、ネタとすればある種オレと佐藤豪との共同作としての遺作ともなってしまった。

ネタ、なんて言い方すると失礼かもしれない。業界用語でいえば「コンセプトメイク」ということになろうか。

手前勝手に思い返せば佐藤豪がパンクシンガーとして殻を破る頃、我が店に日々現れては、夜な夜な話をしては、ネタを出し続けた。

彼の代表曲の一つ「まんが道」もそうで、オレは初版のハードカバーの本を小学か中学の頃に買い何度も読み後生大事にしていた。

親がなくなり実家を貸家で出すときも不動産会社の社長から特別そのハードカバーの本を家に貯蔵することを許されて本棚に置いておいた。

残念ながら昨日12年ぶりに空き家になったので実家を見に行ったら、そのハードカバー「まんが道」はなくなっていた。まあ、当たり前だとは思うのだが、残念だ。

漫画&ミュージシャン佐藤豪の「まんが道」への道

「なろう、なろう、明日なろう。明日はヒノキになろう」という佐藤豪の「まんが道」のフレーズは、若き藤子不二雄の二人が、夜汽車に乗って上京し、挫折を繰り返しながらも、夜空に向かって誓いを立てるシーンだった。そのシーンのページを佐藤豪と共有した。

我が店boxinglee’sは、ある劇団に関係した舞台美術の方に、彼が所属する劇団の公演ごとに舞台に現れる昭和の街角の片隅を前提に、タバコ屋、トタンの家、鉄の階段をあしらったものだった。

佐藤豪の「まんが道」は、その場面にうってつけだった。

大体が、ほぼオレが、ネタをべらべらとくっちゃべる。

「まんが道、がお前の原点で、オレもおんなじ思いだよ。だから、やってみれば」

はあ、と、佐藤豪。

「たとえばさ、なろうろう、って拳でさ。ぐっとなる感じでさ」

とかね。うろ覚えですが。

ステージ以外では無口な彼は、時々、クスクス笑いながら、ある種核心を得たような表情になる。

時々、動作がとまり、しばし、ほんのしばし、考え込む。

その時、漫画、という想像の世界に入り、イメージ=絵、が浮かんだのだろうと思う。

そんな時、丁寧に、「失礼します」などと言いながら、ギターをもって、そそくさとドアを開けて帰る。

我が店の立地の悪い3階からの階段降りて、彼の家まで10数分くらいなのだろうか。

我が店は、中央線の荻窪駅の近く沿線道路上にあり、窓を開ければ線路が見えた

夜の人気のなくなった線路沿いの道を抜け、今一つぱっとしない繁華街を横目で曲がり抜け、静かなる樹木の多い道を歩く。

そして、数日が立ち、ステージに立つと、不可思議な音と仕草を放ちはじめ、無表情の裏にほくそ笑んだような自信を引きずりながら、新曲を放つ。

佐藤豪のギターのカッティングは、金属と木材の匂いがする

なんだろう、一言でいえば、我が故郷十和田市の今はなき十和田観光電鉄の駅の近くの木材置き場の風なのである。

単線が駅に乗り込み、去ってゆく。風が吹く。電車と線路がこすれる音に木材の吐息が入り混じり、聞くものに遠くへ行けよ、と促すような、八甲田から吹いてくる風。

もしかしたら、今更思うが、彼が見ていた、生まれ故郷の北見の空は、我が故郷十和田の八甲田を背にした空と似ている風が吹いていたのかもしれない。

「なろう、なろう、明日なろう」

「まんが道」、おそらくこの曲をはじめて聞いたのは、我が店の数少ない面々だったはず。

この曲なんとでもなるな、そして、この男、なんとでもなるな。

と思った。

なんとでもなる、なんにでもなれる、どこへもいける。

元来、漫画好きで、プロレスオタクで、無口な男。

いうなれば、絵的知性で生きている男、この男に肉体的なものかけ合わせれば、変わる。

そもそもがオレと似ていたのかもしれない。

青森県生まれのアングラ好きで、文学オタク、ジャズオタク、

放っておけばただのオタクだった自分変わることができたのが、唯一、空手をやったことだけだった。

では、この絵的オタクのギター弾きの男、このままフォークで終わるわけもなく、

描いている世界は、魑魅魍魎の爆弾的世界だ。

などと、店がはね、一人店の床掃除をしては、実は店内に置いていたサンドバッグならぬスタンディングバッグにバックキックをストレス開放で放っていたオレは、ふと、思ったのであろう。

「あの漫画オタクは、変身できる」

次のライブの日になり、佐藤豪がやってくる。

「佐藤豪」

「はい」

「お前は今日から、変身忍者だ」

「あ、はい」

あっけなく、佐藤豪は、まったく理由を聞かずに受け止めた。

その日から、変身忍者 佐藤豪が、全世界に誕生した

「変身忍者 佐藤豪」は、初代B.L.C.新東京歌謡プロレス世界ヘビー級チャンピオンとなった。

世界中にチャンピオンベルトがたくさんある。ボクシングはもちろん、キックボクシング、総合格闘後、そしてプロレス。

様々な話し合い、経緯を経て、「B.L.C.新東京歌謡プロレス」がはじまった。

プロ、アマチュア、すべての障壁をぶっ飛ばすパンク。

空前絶後のステージを作ろう。という趣旨の元、新たな価値をブラックホールのようなゼロから作り出すことを念頭に、ブッキングが組まれた。

絶対に必要で、なおかつ安価ではないチャンピオンベルトが必要だった。店に出入りする、ない時にはないが、あればすぐさまキャバクラで散財する不動産会社の社長に頼み込んで協賛金を出してもらい、オリジナルのベルトを作った。

そして、すでに「変身忍者」と冠がついた変身忍者 佐藤豪と敬々(リングネーム:キラーG敬々ザ・ピストル)の61分1本勝負の対戦が組まれ、変身忍者 佐藤豪が初代チャンピオンとなった。

その後、オレがboxinglee’sを廃業してしまうまで、幾度となく変身忍者 佐藤豪のベルトを核に、タイトル防衛戦、ノンタイトルマッチのライブが行われた。

おそらくだが、この「歌謡プロレス」という即興バトル型のライブだが、そこの底辺にあるものが演じる表現者の異化作用を覚醒させ、新しい価値を生むことが見えてきた。

そして、変身忍者 佐藤豪は、変身し続ける。


佐藤豪の変身忍者シリーズ「ウルティモニンジャ」vs レッドマン


変身忍者 佐藤豪 VS 高橋よしあき
※画像サイズが小さくて残念だが、歌謡プロレス@boxinglee’s内でのベストショット!


一度、シュガーかつみ(ハリケーン シュガーかつみ)にベルトを奪われる。
後に、シュガーかつみの返還により王座決定戦によって変身忍者 佐藤豪がチャンピオンを奪還。
このインターバル中は尋常ではない悔しさだったに違いない。


変身忍者シリーズで最も不評だった「変身忍者 佐藤豪姫 キモノ編」。
当時NHK日曜大河ドラマ「豪姫」にあやかったオレが「お前は、今度は豪姫だ」「あ、はい」とすんなり受けたがこうなった。


カウンターで一人涼んでいたのだが、正直キモいので「お前、キモいぞ」と言ったら、うれしそうだった。

後々に述べるのだが、この歌謡プロレスというバトルライブの底辺にあるのは「JAZZ」である。

この歌謡プロレスの面白さを、かみ砕きながら市場に打って出たかったのだが、オレ自身が故郷や身内の問題、金銭事情、様々な問題をこなしきれずにboxiglee’sを廃業してしまった。

しかし、それでも、その後、変身忍者 佐藤豪は、ベルトを腰に巻きながら、ステージに立ち続けた。

ステージに磨かれたチャンピオンベルト

そして、その後も、ずっと、死ぬまで、変身忍者 佐藤豪は、「新東京歌謡プロレス」世界ヘビー級チャンピオンとして、ベルトを守り、巻き続けて演奏してきた。

boxinglee’s立ち上げた時から、世界最強のアンダーグラウンドスーパースターを輩出するぞ、と息巻いてきたオレだが、よもや、文字通り人生をかけてオレが作り、立ち上げ、志半ばで折れかけた魂を、佐藤豪は、変身忍者として、守りぬいてきた。感謝という言葉だけでは間に合わない、どうにもいいようがない想いがこみ上げる。

ステージに飾られた、栄光のチャンピオンベルトは、年月と想いに磨きに磨かれて、文字もおぼろげになってきていた。

変身忍者 佐藤豪の遺作となった「ファイトマネー」をあしらったポスター。

これは、佐藤豪の曲作りのメモなのだろう。

「変身忍者 佐藤豪」。

その名を、背負わせたオレは、何処へ行く。

涙を拭き拭き「ありがとう」なんてことでは決してすまされない命がけの仕事に対し、何をどうして報いようか。

しばし、彼、佐藤豪についての文を綴りながら、この後を考えてみる。


佐藤豪に申し入れて一緒にカバーする約束をしていた曲・原田芳雄の「蒼い影」
(タップすると動画に飛びます)

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