見晴台から、ずっと。

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先日、同郷の小学、中学の同期生の家に訪問して酒を飲みながら語った。

私は、何故に東京にいて、齢50になりながら、

故郷青森県十和田市について叫ぶのか。

集まった同郷近郊の友人や家族と語った。

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私の生れた青森県十和田市の話にしても、一つの枠で言い切れない世界がある。

その夕べ集まった人々は、昭和30~40年代の高度成長期に幼少期を過ごした。

この10年、全国の地方都市の中心街の空洞化が叫ばれて久しいが、

その頃は、まさに街のど真ん中は、地方の片田舎の片隅とはいえ、

栄えに栄えていた。

私が生れたのは、その街のはずれにある、

太素塚というまた不思議な十和田市という町の歴史遺産を祀る聖地の、

その裏に出来たばかりの住宅地ともいえない場所の片隅だった。

当時の所謂街っ子から見れば、十和田の経済地区としては

端っこの辺鄙な場所ということになる。

だが、その夜、酔いながら叫び続けたことは、

彼らの固定された視点とは全くちがうことである、

ということに気づいたのが20代の頃だった。

それを思い出す一夜だった。

ITインフラが発達した今は、

そのような中心と周縁の価値観は全く違ったものになっている。

我が故郷青森県十和田市にしても、かつて同郷では僻地と呼ばれた

土地は、モータリゼーションと大型流通店舗、いわゆるショッピングモールの流布により、

もはや町の中心街に価値など全く見出すこともない。

昔は、ジェンゴといったものだ。

全国後で言えば、在郷。

そんな差別用語も、昔の栄光ひけらかすやからが発した途端に、

逆差別を受けることになる。

もはや、若い世代で、街の中心の栄光を語り、憧れるものなどない。

それはすでにはじまっている東京の中心街の実質的な廃墟化に似ている。

そんな時代の変遷による価値の変化も関係なく、

私が20代に見出した、青森県十和田市にしかないはるかに高い視点は変わらない。

青森県十和田市は、大変に高い視点において作られた

空想科学都市、なのである。

私は、ものごころついた頃、おそらくは3歳頃から、

その高い視点に気づき始めていた。

何故ならば、私は、

今から150年前に狂気的な才覚と計画力と実行力をもつ人物、

新渡戸傳氏と、その子息である十次郎氏と、さらにその子息の新渡戸稲造氏の

墓を祭った太素塚を中心に、世界を体感し始めていたからだ。

私の全知覚の大半に影響を及ぼしたのが、

太素塚なのである。

その太素塚から、私は、次第に、世界を観ることになる。

太素塚とは、私的に今の言葉で述べるならば、

世界に通底する価値を見出せる、見晴らし台である。

今も、太素塚には、昭和33年に建立された新渡戸傳氏の銅像がある。

私は、3歳の頃から、何かしらの不可思議な価値を知覚しながら、

新渡戸傳氏の腰掛けながら、遠く世界を見つめる後姿を、見て育った。

そして、その見晴らし台の風景の記憶を通して、ずっと、

私は今も、次の世界の変動を見ている。

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