太素塚の幻の鳥居  再び巨人が動き出す

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この写真は、太素塚が立地する青森県十和田市の産馬通りにある十和田シティホテル(旧下山旅館)のじゃらんnetでのブログに掲載された写真です。写真をクリックしますとオリジナルのページへ移動します。

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太素塚の鳥居をネットで検索していたら見つかりました!昭和43年の十勝沖地震による倒壊前の鳥居です。

いやあ、デッカイですね。

子どもの頃、本当にデッカイと思っていましたし、写真の提供元(勝手に拝借ごめんなさい)の下山旅館の女将さんも「空に届きそうだ」と思ったと述懐しております。

当時はまだ町には高いビルは皆無で、ほとんどが平屋建てか2階建て。鳥居右側が確かみぞぐち布団屋さんだったか。やはり平屋で、鳥居正面には、満面笑顔の子どもたちがびっしり。

これは太素祭の写真ですね。のぼりが2本立っている。

当時としたら、広い空しかない小さな町に、これほどの巨大な鳥居を立てたのは、寄進した地元の名士の方々はもちろん、市民全体が抱いていた未来への大きな志を象徴しているように思えます。

開拓の魂よ、天まで届け、という当時の熱い想いが胸にジーーンと沁みますね。

当時は戦後20年ちょい、まだまだ市民の暮らしに余裕はなかったはず。

うちの母親も、父親が肺結核で入院、自身倒れ、毎日5円のお金にも事欠くという日記を後に目にした。

ありったけの思い、ありったけの力、ありったけのお金で、この何にもなかった原野の町を世界に通ずる町にするのだ。

きっと、当時の関係者の方々は、そう話し合って、無名の片田舎の町にはあまりに大きすぎる鳥居を立てたのだと思います。

ぼくたち子どもたちは、産馬通りから見上げる太素塚の鳥居を、本当に、宇宙から来た英雄か怪獣か巨人のように思って見上げていたのを思い起こします。

太素塚の鳥居で遊んだ同年代や、兄ちゃん、姉ちゃん、お父ちゃん、おかあちゃんも、きっとそう思っていた。

そして、ぼくは強く思い出す。

ある日、母親と日の丸の旗もって、鳥居の右側国道45号線の脇で待ち構えて、当時の皇太子様(現天皇陛下)と美智子様が車で通るのを待ち構えて、日の丸振って、大声上げて、大勢のかっちゃたちと歓待したんだ。

車の窓の奥の美智子さまが、あまりに美しくて、びっくりしたもんだ。平家物語を熟読し、皇族を愛する母親は、その日は、いつになく上機嫌だった。

太素塚が凄い、太素塚が面白い、太素塚は偉大だ。

若い頃から、ことごとく言い続けてきて、

時は高度成長期から、バブル期、その後のインターネット時代に入ってからも、

一貫して言い続けてきたのだけれど、

時代がグローバル化するにつけ、太素塚の意味はさらに深くなっていくのだけれど、

その成り立ちの複雑さ、あるいは地域の立地性、さらには青森県全体の中での特異性から

十和田市、太素塚は非常に意味深長な歴史を携えてきているがために、

あまりに説明ができなかったが、

一枚の、この写真で一目瞭然で、その面白さが解るだろう。

どうだ、ホントに、すごいだろう!

そして、今現在の太素塚の鳥居は、

清楚に、おしゃれになって、ますます美しく健在です。

ホント、おしゃれになりましたよね。

今年の太素祭に行って実感したのだけど、

どうやら、ぼくは、太素塚に母親の幻影を確認しに行っているようです。

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