カモメのジョナサン【完全版】の【完全】とは?

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不覚にも、最期の1フレーズを読み終えた途端に、

ボロっと涙が出てしまった。

30年の年月を隔てて

一冊の本を再読した。

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「カモメのジョナサン」その【完成版】である。

リチャード・バックのこの作品は、最初1974年に上梓されており、

中学か高校の頃に文庫本で読んだ。

当時、ある種センセーショナルなベストセラーになり、

ジョナサンブームとなった。

ファストフードレストランのジョナサンが定着する遥か以前だ。

最初に読んだ文庫本は、生まれ故郷の青森県十和田市の秘密の書庫に保管してある。

今回読んだ【完全版】は、2014年に国内版としては一般本として出版されていて、

翌年には文庫化されていた。

全く気づかずに、ようやく2017年暮れに、新宿紀伊国屋書店で発見し、

西荻窪の書店で購入した。

で、読了したら、涙ボロっ、である。

涙ボロっ、のわけはわかっちゃいるが、一言ではまとめられない。

すくなくとも、この【完全版】で書き加えられた第4章であることは間違いない。

十代で読んだときは、何をもって、自分は感動していたのか、定かではない。

この「かもめのジョナサン」の物語というか寓話のテーマは、

「飛ぶ」ということである。

主人公のジョナサン・リヴィングストンは、

ひたすら「飛ぶ」ことを探求する。

ここでは細かな書評をする気はない、が、ただひたすら、

自分は、飛んでいなかったなぁ、としみじみこの数年を思ったりした。

「創訳」者の五木寛之氏の初版当時の70年代を背景にした解説の中に、

映画作品のタイトルが出てくる。

「イージーライダー」「グラインドブルー」「ファイブ・イージー・ピーセズ」

アメリカに憧れ、ヒッピーに焦がれ、ワールドワイドなロックな大人を目指した

イガグリ頭の中学生の自分を思い出す。

早く髪の毛が伸びないだろうか。

ブルース・リーみたいに強くなって、世界のスクリーンで暴れられまいか。

ジョンレノン、平和を我らに。

映画作りたい、レコード出したい、金儲けてチヤホヤされて、

あまったお金をNHK歳末助け合いにカッコつけて寄付するのだ。

などと、思いながら、冬場はあまりに寒くて、

風呂入るのが嫌で、一ヶ月ぐらい入らないで、

中学の学級の後ろの席のでかくて声が太いアキコから、

「おめ、肩さ、フケたまってらぞ。風呂入って来い」

と諭されながら、肩に落ちていたフケを払われたのを思。出した。

(アキコは、今や、アニキである)

カモメのジョナサン【完全版】の終わりは、つまりそのように、

ヌケヌケとひょいと憧れのアイドルか、

あるいは、懐かしい先生か、ライバルか、友人が、

目の前に急に現れ、

全く普通に肩に力も入れずに、

「一緒に、飛ばない?」と誘ってきたわけである。

それは、たかだか、子どもの「缶蹴り」のようなものなのだが、

子どもにとっての「缶蹴り」とは、ちんけな大人の想像を超えた

まだまだ幼いながらも今現在進行形の人生をかけた一大事なのである。

つまりは、一冊の本の最期のフレーズが、

正々堂々と、缶蹴りしないか、と50代の自分に誘いに来たわけである。

しばらく仲間はずれで引きこもっていた家に、

久々に、近所の友達が、「缶蹴りしないか」と誘いに来たわけである。

ボロっと、涙っこが、さ。うれしくて、さ。

参考:かもめのジョナサン【完全版】

でまあ、缶蹴りなんてものは、子どものころのぼくは、

だいたいは、太素塚の森の中でやっていたわけである。

1970年以前、太素塚は、まさにかもめのように、

子どもたちが、やたらたくさん、飛び回っていた。

うーん、なんか、わかんないけど、

この「かもめのジョナサン」、

チェルシーみたいに、あなたにもあげたい!!

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