太素塚裏の小野商店は、罪なヤツさ、ああ、てっちゃんの夏、キンチョーのアイスクリーム。

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「テツオーーーーーーっ!」
「バシッ!」
「ああ”----------っ」

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夏の昼下がり。

あれはきっと土曜日だったのかな。

太素塚裏の近所の幼なじみのてっちゃんと、太素塚裏にあるお互いの家に向かって歩いていた。

てっちゃんとぼくは、同じ友愛保育園の保育園児で、おそらく二人はその帰り道だった。

二人のお母さん同志も保育園の母の会(PTAみたいなもの)の役員でとても仲良しだった。

その頃のぼくは保育園の同じ年代の中では大きいほうで、てっちゃんはチビだった。

ぼくの髪型は、当時の男の子のスタンダードの前髪そろえた刈り上げのオカッパで、てっちゃんは、坊主刈りだった。

てっちゃんとぼくは仲良しだったが、てっちゃんのお父さんとぼくの父親も仲良しだった。

てっちゃんは坊主刈りだったが、てっちゃんのおとうさんは、角刈りだった。角刈りって、今時あまりみない。てっちゃんのおとうさんは、寿司職人だった。

二人ともどちらかといえば、おっとりしているタイプの子供で、いじめられるよりはいじめられっこで、泣げっつだった。

そして、お母さんどうしはとても仲良しで、どちらも近所のこどもにはとてもやさしく、自分のこどもには鬼のように怖かった。

悪さや悪戯をすると、ぼくのお母さんはよく手のひらであたまをぶっ叩いた。時にゲンコツでゴツンとやった。あまり怒ると怖くて逃げると、追っかけられて箒で叩かれた。本当におっかないお母ちゃんだった。

てっちゃんのお母さんは、もっと怖かった。てっちゃんを怒るときには、「テツオーーっ」といって怒鳴ると、テッチャンはもとより、近所にいる子供たちでさえ震えるような怒気があった。

当時のお母さんのことを同年代の同郷の友人に話すと、みんなが「あの頃のオカッチャ、みんなオッカネがったーー」というのだが、確かにそうだった。みんな暮らしが大変だった。だから、自分の子供だけには、しっかりとして欲しい、という願いだったのだろう、と今では思う。けど、それにしても、あの頃のオカッチャは、本当にみんなおっかなかった。特にテッチャンのお母さんは、怖かった。

ぼくのお母ちゃん(当時はそう呼んでいた)は、ガタイがよく、怒ったときのモードは鉄のハンマーを思わせる重さがあった。対して、てっちゃんのお母さんは、てっちゃんが何かをしでかしたときに、「しまった」というのを思わせる隙間もなく、「テツオーーーっ」と怒り叫ぶのは、瞬時に時を切り裂くカミソリのような空気感だった。

ぼくらが通った友愛保育園の母の会をささえる、ぼくのお母ちゃんとてっちゃんのお母さんは、ハンマーかっちゃとカミソリかっちゃだった。

昔、よく、地震、カミナリ、家事、オヤジ、と怖いものを例えていったものだが、ぼくらにとっては、地震、カミナリ、火事、オカチャ、だった。

ぼくの父親は土建会社の勤め人で、てっちゃんのお父さんは大阪寿司の寿司職人だった。ときどき、父親につれられて寿司屋のカウンターでお寿司を食べた。角刈りのすっきり頭にねじりハジマキで浪花節のような低音のだみ声で寿司を握り、「へい、おまち」と応対するてっちゃんのお父さんは、「漫画ど根性ガエル」の梅さんよりもイナセで粋でかっこよく、当時はぼくの憧れの的だった。そして、父親は、時々午前様になる頃は、タクシーで太素塚裏の平屋の家に帰ってきて、お土産にてっちゃんのおとうさんの握った寿司折りを、「かー」といって、母親に手渡しては、「いづまで飲んでる」と怒鳴って歓待する母親の怒りのハンマーを和らげようとしていた。

友愛保育園のある十和田市の大学通りは、まだ道の脇に用水路の堀があった。

それにとっぱ落ちないように渡って、通りの向こう側へゆき、右に曲がって市街方面に歩き、銭湯の太素湯(現みちのく温泉)手前の角にある小さなお堂をお参りしてから、左の路地に入り、しばらく歩いて広めの通りにでると右側に曲がり、真っ直ぐ歩く。

しばらく歩くと太素塚の森が見えてきて、道路を左手に曲がるのだが、その前に右側に小野商店というとても魅力的な酒屋があり、ぼくたちはそこを通るとき、いつも物欲しそうにちょっと足を止めたりして、通り過ぎるのだった。

小野商店は、酒、ビールはもちろん、お菓子から一般食品まで、幅広い品揃えで、太素塚裏の消費のメッカ的存在だった。当時の子供たちにとっては、何でもあるお店だった。こどもたちは、親からもらったりくすねてきたお金を両手に結んで鳴らしながら、「かーるーーーー(買い物にきたよ~)」といいながら店に入った。

ぼくが子供の頃には、一粒一円のキャラメル、ひとかけら2円のチョコレート、一枚5円の南部せんべいなんかの駄菓子類も揃っていて、子供たちには憧れの場所だった。

そんな憧れの場所の小野商店の前を、ぼくとてっちゃんは、毎日通り過ぎて歩いた。

その日も、じりじりと指す日差しの中で、油蝉がミンミンと鳴く。ぼくとてっちゃんは、太素塚の角から曲がる途中で、小野商店を横目で見ながら歩いていた。二人が考えていることは、間違いなく同じこと。

小野商店の店内の冷蔵ケースに潜んでいるアイスクリームが食べたいのだ。しかも、なるべく10円の棒付きキャンディーではなく、カップに入ったアイスクリームだった。しかし、そのカップ入りのアイスクリームは、当時のそこらへんの子供にとっては高値の花の20円もした。

だが、その日のジリジリと暑い日ざしと、おそらく鳴いていたであろうミンミンゼミの音が、純情なてっちゃんのぼくの欲望を掻き立てた。

ふと、丸坊主頭でてっちゃんが、めずらしく強気で話しかけてきた。

「オチボくん、アイスクリーム食べたくない?」

「食べたいよ」ぼくはこたえた。

「アイスクリーム食べない?」

「え、アイスキャンディー」

「ううん、アイスクリーム。カップのやつ」

「でも、あれ、高いよ。20円もするよ。」

とぼくは応えた。

てっちゃんが、妙にちょっと強気で言ってきた。

「アイス、食べたくない?」

「ぼく、お金ないよ」

とぼくが応えると、てっちゃんは、何かうれしそうに、また強気で言ってきた。

「ぼく、お金持ってるよ」

てっちゃんは、意気揚々と応えてから、「いこっ」とぼくを促した。

ぼくたちは小走りで走った。

先にぼくの家の前に着くと、てっちゃんは、

「オチボくん、あそこの角で待ってて、ぼくお金持ってくる」

と言って自分の家に向かって駆け出した。

ぼくのうちからの道をゆくと左右の下り坂に分かれていて、てっちゃんの家は、左側の坂を下がった共栄荘というアパートの中にあった。子供の足で走って2分ぐらいのところだった。

約束どおり、曲がり角のあたりでてっちゃんを待っていると、てっちゃんが小走りでやってきた。両手に小銭を入れて、スキップするようにやってきた。

「いこっ」と、てっちゃんが得意顔で小野商店に向かって駆け出した。

ぼくも追いかけた。

二人はスキップするように小走りで小野商店に向かい、「かーるー(買いますよ~)」と言って小野商店に入り、アイスクリームケースから、普段は手に入らないカップのアイスクリームを2つとって、てっちゃんが、小野商店のおじちゃんか、おばちゃんか、おばあちゃんか、おじいちゃんに、お金をはらった。

ふたりは太素塚裏を歩きながら、アイスクリームを食べながら、歩いた。

「おいしいね」てっちゃんが、にこにこしながらはなしかけながら、木のスプーンをペロペロ舐める。
「おいしいね」と、ぼくも応えて、ペロペロなめる。

たしか、本当に、ジシジリと熱い昼下がりの幸せなひと時だった。

こんな高いカップのアイスクリーム、風引いたりして熱だして布団で寝込まない限り、おかあちゃんは買ってくれないもんな~。

カップの中のアイスが溶けてだんだんなくなる。
ああ、なくなるけど、まだある、ああ。
アイスクリーム、甘くて、おいしい。うめ。

夢のような昼下がりの日差しの中の極上の冷たい味覚を味わっている、無邪気な男の子ふたりだった。
蝉がミンミン、しあわせな気分。

が、急に事態が変わった。

なぜか通りの向こうに、てっちゃんのお母さんが、現れたのだ。

てっちゃんの表情が、一気に曇った。

カミソリてっちゃん母さんだ。

てっちゃんのお母さんが、にこにこ笑いながら、ぼくに近寄り話しかけてきた。

「オチボくん、こんにちはぁ。アイス、美味しい?」

「うん」ぼくはこたえた。

が、横にいるてっちゃんが、固まって動かなくなった。

てっちゃんのお母さんが、また、話しかけてきた。

「オチボくん、アイスのお金もってたの?」

急に、ぼくも、固まった。何かすべてを急に察知してしまった。

てっちゃんが、ますます固まった。ほとんど、トーテンポールだ。

てっちゃんのお母さんが、ぼくの目にやさしく鋭く問いかけてきた?

「オチボくん、お金もってたの~?」

ぼくは、固まったてっちゃんの横で、

ううん、

と首を振るしかなかった。

すると、一気にその場の雰囲気は変わった。

真夏の午後の太素塚裏の一角の曲がり角に、暗雲が一気に収束する。

「テツオーーーーーーっ!ちょっと、こーーーーーーい!!」

てっちゃんが、有無を言わさず、てっちゃんのお母さんに引っ張られていった。

カミソリかっちゃのてっちゃんのお母さんは、ひきづるようにてっちゃんを共栄アパートの部屋に首根っこを引っ張るように連れ去っていった。

「うあああああ」とてっちゃんは叫びながら、引っ張られた。

ぼくがいるT字路の辻から下り坂の途中にある、てっちゃんのいるアパートの窓が見える。

てっちゃんは、そのアパートの入口から、お母さんに引っ張られて自分たちの部屋に引っ張られていった。

ぼくは、あっけとられて、共栄アパートのテッチャンの部屋の窓あたりを見ていたが、姿は見えなかった。

が、てっちゃんのお母さんの怒鳴り声「テツオーーーーーーっ!」と、
てっちゃんがぶっ叩かれている「バシッ!」という音、
てっちゃんの恐怖とに泣き叫ぶ「ああ”----------っ」という声が、3連発で聞こえてきた。

ぼくは、共栄アパートが見える辻で、一人、恐怖に震えながら、とけてゆくアイスクリームのカップを手に、だただた、窓から聞こえてくる音を、聞くしかなかった。

「テツオーーーーーーっ!」
「バシッ!」
「ああ”----------っ」

「テツオーーーーーーっ!」
「バシッ!」
「ああ”----------っ」

「テツオーーーーーーっ!」
「バシッ!」
「ああ”----------っ」

この繰り返しが何度続いただろうか。
この恐怖の音を繰り返し聞きながら、ぼくはてっちゃんのおよその行動を把握した。
おそらくてっちゃんは、家に帰って、おかあさんにアイスクリームを食べたいからと、お金をお母さんにせびったのだろう。

「テツオーーーーーーっ!」
「バシッ!」
「ああ”----------っ」

そんな音がループするのを、真夏の暑い午後の日差しを浴びながら、太素塚裏の路地の向こうの辻の一角で、ぼくは、突っ立ったまま、だまって聞いているしかなかった。

しばらくして、てっちゃんが、共栄アパートから出てきて、歩いてぼくの方へ、しょんぼりしながら、歩いてきた。

目は涙を拭ったようなあとがあり、イガグリ頭に汗が流れていた。

思わずぼくは、

「てっちゃん、大丈夫?」

と行った。

てっちゃんは、しょんぼりしながら、ぼくの方も見もせずに、一言いいながら、ぼくを通り過ぎて言った。

「いこ」

しょんぼり、肩を落として歩いてゆくてっちゃんの後姿をおって、ぼくも歩いた。

本当に、ホントに、てっちゃんは肩を落として歩いていった。

歩いていく先は一つしかない。

それは、ぼくたちの遊び場、秘密基地、太素塚だ。

太素塚に行くと、お菓子も、アイスクリームもなく、ただ、不思議な森の中に、大きな石碑のある境内が3つあるだけだった。

歩く途中で、ぼくが住む平屋の家があった。

いつもは、お母ちゃんがちょっとおっかない自分の家だけど、今はなんか天国のような気がした。

てっちゃんのお母さんのカミソリ声に比べれば、お母ちゃんのハンマー声は、まだまだいいよ。

横目自分の家を見ているうちに、てっちゃんは、ずっと先に歩いていってしまった。

ぼくは叫んだ。

「てっちゃーーーーん、待ってけろーーーー」

しょんぼり肩をすぼめていたてっちゃんが振り向いて、叫んだ。

「おちぼーーー、いぐよーーーーーー」

てちゃんは、走りはじめた。

ぼくも、走りはじめた。

きっとぼくたちは、そこから気づきはじめたのだ。

アイスクリームが食べられなくても、ぼくたちには、自由がある。

そこにいれば、ぼくらは自由だ。そして、ぼくらは強い。

あそこに行けば、なんとでもなる。

お母ちゃんや、お父ちゃんよりも、もっとぼくらは強くなる。

ぼくとてっちゃんは、太素塚を巡る鉄棒の柵を越えて、太素塚の森に入った。

そこには同じ年代の仲間や、他のこどもたちがたくさんいた。

エラそうなフリするお兄ちゃんたちもいない。

テツオーーーーーっ、叫ぶカミソリかっちゃも、

おちぼーーーーーっ、と怒鳴るハンマーかっちゃも、

いない。

ぼくと、てっちゃんは、さっきのカミソリとハンマーの記憶を振り払うように、

わーーーと走りはじめ、土を蹴り、石を掴んでは投げはじめた。

実はいまだに、ずっと、

「テツオーーーーーーっ!」
「バシッ!」
「ああ”----------っ」

という恐怖の場面を

夏の暑い頃になると、毎年、毎日思い出します。

本当にあの頃のうちのお母ちゃんも、てっちゃんのお母ちゃんも、

どこのお母さんも、おっかなかった。

何度も、怒られ、叱られ、怒鳴られ、泣いた涙を思い出しますが、

今また、ちがう涙が、目から汗流すように、感じたりなんかして。

ちなみに、てっちゃんは、青森県十和田市で寿司屋やってます。

寿司 八助

http://artstowadaoirase.jp/seminar/?p=1418

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