山神 開拓の身体脳

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2017年。今年の5月に太素祭に行った際に、十和田三本木原開拓市のある種決定的な証跡となる幻の穴堰の見学に行ってきた。そのレポートを書くつもりで撮った写真の中で、強く我が心を射止めてしまったのが、南部土方衆の残した石碑「山神」である。

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幻の穴堰

幻の穴堰とは、新渡戸傳の開拓事業の後継者である子息の新渡戸十次郎の指揮によって切削された未完の水道トンネルである。幕末当時の土木機材と測量器を使って、すべて手作業によって掘られた約950メートルの未完のトンネル。その穴の横穴が入口になっており、本年より観光施設として一般開放されはじめた。

少年の冒険ゴコロを刺激する秘所

実はぼくたち昭和30年代生まれの子供たちは、当時その幻の穴堰を「洞穴(ほらあな)」と呼んでいた。無論、ずぐなし(意気地なし)のぼくは、行くわけはないのだが、有志ある悪ガキや冒険野郎たちは、自転車近くまで行き、懐中電灯、またはおそらくはロウソクや爆竹やダイナマイトと呼ばれる花火を抱えて、中にいるコウモリを探し探検に入った。そんな話を、ときどき、聞いていた。

その幻の穴堰の中を視察に入って、地上に出でると見えたのが、山神の石碑だった。それを近くの正面から見たときに、予想だにもしない衝撃を受け、とんでもない想像力を掻きたてられたのでした。それは、ぼく自身の想像なのか、あるいは、それを掘った当時の土方衆の人たちの想像なのか、百年以上の時間差でシンクロする未来への妄想なのか、なんだかわからない。が、目撃した途端、我が魂はそわそわし、それはそれは衝撃的な、命がけともいうべきアートへの遭遇であったと未だに実感する。それを、時間差のある今、思い起こしてみたい。

十和田市の稲生川の源流の一つとなるべきでありながら、ただの空洞となりながら、来るべき次世代の遭遇を待ち受けた洞穴、幻の穴堰の傍にいる、山神(やまのかみ)である。

この形相を見て、君は何を思う。というより、何という言葉を持って、彼に応えるか?

幻の穴堰 – 太素の水プロジェクト

幻の穴堰 – BUNKA新聞

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