2017年5月4日太素祭 青森県十和田市を構想した宇宙人 新渡戸傳をこころあらたに祀る時

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青森県十和田市太素塚 中から鳥居越しに市街を見る。ここから開祖 新渡戸傳氏は原野であった三本木原の未来図を構想したと考えると、実に深く、面白い。

明日から故郷十和田市の5月の祭、太素祭を体感しに、東北の旅に出ます。

予定は三陸の宮古を経由し、震災の時にあまりに慌しく立ち寄ることのできなかった東北、三陸をしっかりと胸に抱きながら、故郷の十和田市に入り、十和田市の開拓の歴史を祝う太素祭に立ち会うのです。

【太素塚太素祭実行委員会の告知です】
5月3日~5日に開催する太素塚境内での「稲生川上水159年記念・太素祭」は、市民有志の太素塚太素祭実行委員会がイベントを企画運営します。
新渡戸傳をはじめとする開拓の先人たちが眠る「太素塚」を、先人への感謝の思いで参詣いただき、今年の豊作を祈願し、十和田市発展の基である稲生川の上水を喜び合って、楽しくにぎやかな3日間を過ごします。
ぜひお誘いあわせの上ご参加ください。
告知facebookページ
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太素祭とは、十和田市の開拓の口開けとなる新渡戸稲造の名前の由来である稲生川という人口河川が1859年5月4日に上水されたことを祝う、開拓のお祭りです。

太素祭の太素とは、新渡戸稲造の祖父にあたり、現十和田市旧三本木原の開拓者である侍 新渡戸傳の号ですね。号、とは所謂呼び名、ペンネームのことですが、アントニオ猪木でいえば、人呼んで燃ゆる闘魂というところでしょうか。(気軽に例えてすみません)

あらためて太素の意味を考える

その新渡戸傳氏の太素という号は、当時どんな想いをこめて名付けられたのか、想像するに非常に深いものがあります。古くは中国の医学書にも出てきます。生命体、あるいは宇宙的運動体の根源のような意味合いを持つと思います。

十和田市の開祖 新渡戸傳氏の銅像 子息の十次郎氏に十和田市の百年都市計画を具現化させ、世界人 新渡戸稲造を輩出した宇宙的視座をもった偉人です。

おぼろげに想起されるのがヨーロッパ・ルネッサンス以後のバロックの時代にあたる17世紀の哲学者ライプニッツモナド素粒子とも言ったりもしますが、この世のモノゴトを生み出す生命体以前の意志のようなものでしょうか。その能動態的な意志の連続体として、、があります。

新渡戸傳、その人の功績そのものを物語るように、十和田市の原型であるだだっ広い荒野に三本に枝分かれした木が一本しかない土地に無理矢理水を引いて田畑にするという構想、それその意志自体が、まさにモナドであり、太素、あるいは素粒子である気がします。時代の変わり目の、武士階級の危機、時の弱者に陥ろうという意思が負けない意志と遭遇し、関わりあうことにより、新たな運動体を生み出す。それが、十和田市三本木の開拓の素晴らしさであり、また、人間の意志の可能性であり、面白さであると思います。

また太素塚は、新渡戸三代という父性の魂を祀っていますが、太素塚の森そのものは、父性を包む母性そのもの、つまりは、母的存在であると思います。そこに、日本の東北の片隅の僻地である三本木の開拓という一見特異性のようで、世界的な普遍性をもった人間の可能性が凝縮されていると思います。

そんな話を地元の同世代の人たちと話すと、まあ、そりゃあ凄いね、とありきたりな返事がきますが、十和田市三本木の開拓の発端を、より高い位置から俯瞰的に考えてみたら面白いのになあ、と常々考えます。

ぼくのイメージとすれば、新渡戸傳という方は、チョンマゲからザンギリ頭に変遷する時代を駆け巡るある種、宇宙人的生命体であると考えます。宇宙人といっても、ウルトラマンのようなキャラクター的デザイン性のことはありません。そもそも、人間一人一人は宇宙人であるわけです。ただ、目の前の可視的な世界を徘徊するだけで、自らが宇宙人であることに気づかずに、メディアでつくられた外来生命体らしきものを宇宙人と認識するわけです。そういう意味では、宇宙人は明らかに存在するし、霊体は確実に存在すると思います。もっともぼくは怪談話にはめっぽう弱く、暗闇のトイレには絶対に入りたくない。(って、関係ないか)

ともあれ、太素塚という場所は、新渡戸傳氏の後の十和田市の都市構想の発端をつくるための宇宙的視座となり、後の具体的構想を引き継ぐ子息の十次郎氏の地図を描く起点となった場所であったと考えられます。

あらためて既に出来上がった建築物を無しと考えれば、太素塚は平べったい原野を見渡せる小高い丘陵となっており、さらに未来図を構想する地点が、現在の太素塚の新渡戸傳氏の銅像がある場所の一帯であると考えます。

十和田人は一度、改めて太素塚に来て、新渡戸傳氏の銅像とならんで、市街を俯瞰してみたら面白いです。

そこに立ち、はるか以前の原野を想像し、天文観測型の視点で、三本木原という原野を俯瞰するわけです。そして、平たく言えば、現在のような大型土木機械もなく、スコップとツルハシと頭脳だけによって、長期的な戦略と構想図を下に、荒野を人間の生活圏に改造するわけです。今の視点で言えば、火星に田んぼ作ろうってことになったら、どこから水を引いて、どのように穴を掘るのか、という一見馬鹿げた構想が、そこから生まれるのかもしれません。

新たなる時代の幕開けの予兆として

今年の太素祭は、新渡戸記念館の廃舘問題と重なり、完全に市民ボランティアの手による開催となるとのことです。本来、開拓の母体である太素塚そのものが、ある種生み出した生命体に背を向けられるような気分を拭うことができません。しかし逆の視点から見れば、市民、元市民が、己の故郷のルーツを再確認、再評価するチャンスであると考えます。また、そのような考え方で、太素塚は再び立ち上がるのだと思います。

こども武士道よりも、おやじ武士道を

今年は、元来の次世代を担う子供たちを中心にした催しに加えて、有志の方々の音楽ステージもあるとのことです。大変素晴らしいことだと思います。

特設ステージでバンド演奏のようです。ぼくが小学時代はロックバンド、ブルースバンドがよく演奏していました。いいですね!!


かねてより、今は、子供よりも、まずは自分も含めてオヤジ世代の再教育「オヤジ武士道」が必要不可欠と考えていました。ロックでもいい、ブルースでもいい。ともあれ、子供には夢、と同様、オヤジには情熱あるいは情念、が必要だと、常々思う、古いモダンジャズ好きの50代の万年ハナたれ小僧なのでした。

宇宙人向けのフライヤーを勝手にイメージしてみました。勝手につくっちゃって、すみません。

5月3日から5日まで、実におそらく15年以上ぶりに太素塚に入り浸ってます。これ読んでいる君は是非遊びに来てね。

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