新渡戸記念館 瓦礫の向こうに見えるもの

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この写真は「武士道」の著者である新渡戸稲造の蔵書と十和田市の開拓の資料を保存する新渡戸記念館が在る青森県十和田市の太素塚の入口にある鳥居、あるいは門が1968年5月16日に起きた十勝沖地震によって倒壊した記録写真である。

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不安の闇の中で何故か太素塚の鳥居を思う

東日本大震災が起きた2011年3月11日。東北人として、いや日本人として思い出すべきこと、忘れてはいけないことがあると思う。同時に、青森県十和田市出身者として、同郷の人に想い出して欲しいことがある。

瓦礫の向こうに見えるもの。

東日本大震災が起きた日の午後、新宿にいたぼくは、自宅のある西荻窪までの3時間の徒歩を余儀なくされた。夜の闇の中で思い出した大勢歩く人たちと、ちょうど持っていた携帯ラジオでしか聴こえてこない不確かな地震の被害情報に複雑な思いを募らせながら、とぼとぼ歩いた。目的地は決まっているのに、あてどない。灯りのない夜の青梅街道の道すがら、何故か自分の故郷の十和田市の新渡戸記念館がある太素塚の大きな鳥居を思い出していた。それも現在のものより一世代前の大きな白いコンクリートの鳥居だった。

大丈夫、きっと、大丈夫。
そんなふうに、闇の中、不安な自分を奮い立たせていたのだろう。

東日本大震災から遡ること43年前の1968年5月16日に十勝沖地震が起きた。北海道から東北北部が被災地とされるが、特に青森市や、八戸市・十和田市・むつ市・三沢市をはじめとする県東部に大きな被害をもたらした。

資料によると52人が死亡、330人が重軽傷を負った。また住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟にのぼる、特に青森県は、死者・行方不明者48名、建物全壊646棟、半壊2,885棟、一部損壊14,705棟と被害が集中した。

そして、当時ぼくの家族が暮らしていた家からほんの数分の新渡戸記念館が在る太素塚の鳥居が、倒れた。

そして、壊れに壊れた十和田市の街と共に、ものの見事に、迅速に再建された。

誇り高き自由と自立の象徴として

再建される以前の新渡戸記念館の白い鳥居は、ぼくたち近所の子供にとっては太素塚の中でも、最も重要かつ格別に面白い遊び場だった。それは、非常に巨大でその柱を支える台座あるいは台石が、人が乗っかることできるくらい大きかった。こどもたちはその台座に乗っかり、かくれんぼしたり、鬼ごっこした。

森の中に祀られた荘厳な新渡戸三代の記念墓碑の境内とは違い、鳥居で遊んでも管理人に怒られることはなかった。そして、太素塚の歴史観溢れる森と街中をつなぐ産馬通りの入口で、友だちとじゃれあい、遊ぶ。見上げれば空高く屹立する柱を、小さな子供が我が物のように、さも自分の宝を所有するが如く、どうだとばかり抱きかかえる。目の前には街中に続く広い産馬通り。5月のお祭りには、鳥居の門を入口から通りの向こうまで、出店がずらりと並び、大人も子供も楽しめる夢の街道となる。この場所で自由奔放に遊ぶ子供たちは、巨大な天まで届く太くて頑丈な白い柱を、後に流行るウルトラマンのシュワッチのように、自由の象徴として誇っていたように思う。

だからこそ、その鳥居が倒れた光景を見たときには、恐怖を超えた驚きを感じたことを今でも痛切に覚えている。

太素塚の鳥居がぶっ倒れた

十勝沖地震は、ぼくが通いはじめたばかりの三本木小学校の1時間目の授業の最中に起きた。

通いはじめ、というのは、実は小学校入学直前の春休み、太素塚裏の家の近所のオサムちゃんと遊んでいて、オサムちゃんの家の庭にあるリンゴの木からとっぱ落ちて、足の脛を骨折し、入学が遅れたのだった。ギプスをはめて自宅治療していたため、入学式にも出られず、ようやくギプスをつけたまま通い始めたのが4月の末で、地震当日はまだびっこを引いていた。

1時間目の授業がはじまってまもなく、揺れ、が来た。女性教師の加藤先生の誘導によって、生徒は机の下にもぐり、しばし様子を見た。が、すぐに壁にヒビが入ったのではなかったか。尋常ではないことは、幼いぼくらでもすぐに察知した。教室が一階だったことから、窓を開けて、生徒は順々窓から飛び出て、校庭目指して走って逃げた。とんでもない揺れの中、校舎の脇の土がモコモコと盛り上がってて、街中の映画館の稲生座で観たゴジラやガメラの破壊シーンがそのまま目の前に具現化されていることに驚きながら、ギプスがとれたばかりのぼくは、ゆらゆら揺れる地面をビッコ引いて走った。揺れで唸る校舎の角の向こうから、ビッコの生徒を置き忘れた加藤先生が、「オチボくん、早ぐ早ぐ」というが、何せ、ギプス外して片足がまだ細いぼくは、ずっこけながら何とか走り、ビリっけつで校庭についた。騒ぐ生徒、泣き出す生徒、様々な人の光景が見えたが、ぼくは止めようのない膝の震えを、両手で押さえていたが、ともかく膝がガクガクするのを止められなかった。

やがて、両親が安否を気遣いに現れ、地震がおさまった後にぼくら生徒は教室に戻り、当時毎日配られていた牛乳を震えながら飲んだ。何でこんな時に牛乳を飲むのか、子供ごころに解せぬまま牛乳を飲んでいる最中に余震が起きて、また誰か生徒が泣き出す。

ともかく、学校から近くの太素塚裏の平屋の家に帰ったら、家の中がとんでもないことになっていた。ありとあらゆるタンスやら調度品が倒れて、モノが散らばっていた。庭の土がぐにゃぐにゃになっていた。

近所の誰かが何かを言って来たのか、あるいは用があって出かけたのか忘れたが、家族がそろったあと、ぼくは太素塚の鳥居のあたりに行って驚いた。

太素塚の鳥居の門が倒れていた。

まさにぶっ倒れていた。

それはそれは、小学一年生にとっては、あまりに大きなコンクリートの残骸で、太素塚の目の前の産馬通りをそのまま垂直に形のまま倒れ、破壊されていた。

高度成長期の出鼻をくじいた十勝沖地震

十勝沖地震の被害は、全十和田市にとっては壊滅的だった。あらゆるものが壊れに壊れていた。街中の家屋という家屋、店舗、物置小屋までものの見事にぶっ壊れていた。目に見えるコンクリートの塀のほとんどが倒れていたし、郊外に行けば、田んぼや畑が地割れを起こしていた。牛、馬、豚、ウサギ、鶏などの家畜はどうなっていたんだろう。家の中といえば、梅酒を入れたガラスの瓶や壷などが、壊れていた。親戚の家に手伝いに行っても、壊れた残骸だらけだった。

当時はまだ戦後20年を過ぎたばかり。高度成長期を迎える直前で一般市民も経済がようやく安定する頃ではなかったか。農家は農家なりに作物と物流が安定し、勤め人は今日も明日も仕事があって飯が食える。かくいう我が家も、父親が肺病の闘病生活から回復し、勤める会社が安定しはじめ、離ればなれが続いた母、二人の姉も共に睦まじく暮らすようになり、一回りほど年離れたかわいい弟のオチボが生まれて家族仲良し。父親は、朝6時には出勤し、かっちりと仕事をこなしては、平日は接待やらで午前様だった。

ともあれ、東京オリンピックをどこかの家のモノクロテレビで見てから高度成長期に入る直前の数年後、貧富の差はあれど、平均的な十和田市の人たちは、わずかずつ良くなってゆく暮らしに安堵することが普通になってゆく頃ではなかっただろうか。よもや自分の家や、店舗が、倒れ、よじれ、傾き、ひっくり返るとは、ましてや、十和田市の開拓精神の象徴である太素塚のでっかい鳥居が、ぶっ倒れるなんて思いもよらなかっただろう。

不屈の精神と意地が太素塚大鳥居を再建した

驚くべきことに、太素塚の鳥居は十勝沖地震で倒壊してから一年後の9月に再建されている。十和田市の開拓史をそのまま形として象徴する鳥居は、当時の市民にとっては、自らが経済を立て直すために必須の勇気滋養あるいは起爆剤であったように思う。

実際多くの家屋が傾くか潰れてしまった。建て直すには、借金もしなくてはならない。それ相応の決意が必要だったろう。市民の有志の方々が再建組織を組織し、寄付金を募り、とんでもない短期間で再建してしまった。ご近所の子供の自分としては、あれよあれよ、という間にすぐにできちゃったという記憶がある。

大人になった今、あの鳥居の再建は現在でも物理的にもあまりに短期間、と感じる。同時に、当時の市民の方々の意地をも感じる。当初は、十和田市の開祖新渡戸傳への畏敬と感謝の象徴としてあったはずだが、なにくそ、負けでたまるが、という熱い想いの結晶体として、怒り動き出す前の大魔神のように、静謐かつ威風堂々と屹立しているのである。

新渡戸記念館のある太素塚の入口の門 大鳥居 

写真は、写真集「激震の中からの報告」日刊東北社刊(昭和43年6月30日 発行人 佐藤不器 編集人 風見 透)より転載しました。
ぼくが長年、幼い頃からの太素塚の記憶を保持しているのは、この十勝沖地震の記録写真集に寄るものが大きいです。発行されたとき、両親が買い求め、特に文学や本好きだった母親が、常日頃見いていたのを思い起こします。
新渡戸記念館の廃館問題など、十和田市の歴史の史実が忘れ去られる昨今、現代史における十和田市の苦闘の記録として、是非、復刻していただきたい、と思います。
掲載に関して問題があれば、直接このブログを通してご連絡いただければ幸いに存じます。
また、この写真集には、昔から十和田市に潜在するDNA的な解説がなされているので、後日また述べていきたいと想います。

参考文献:「荒野に町をつくれ 三本木原開拓ものがたり」川口 泰英 著 発行 Kyousoukyoudo 北方新社刊

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