【オチボ日記】懐かしいとは何か?

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仕事の関係で今は静岡県袋井市に来ています。

2016年ももうすぐ終わり。

正直な現実的な全体の感触ですが、今年は近年の10年間の総括ができるだろうか、と考えながらはじまりました。




体調やら仕事の進捗やら、久々にまたうまくいかずに、あれよあれよと夏が過ぎて、秋。

仕事のやり方も暮らしのスタイルも一度全部変えなくてはならない、と決意するもののどうにもこうにも。けど、また、新しい出会いに助けられて、新しい仕事に恵まれています。

昨今いろいろと気になることが、10年前にぷつんと廃業してしまったライブバーの店のレギュラーのメンバーのこと。

あの頃は、ぼくは40代中盤に差し掛かり、今は50代。あの頃に店に出入りしていたメンバーは団塊ジュニアとなる30代前半が多かった。今、あらためて近況を聞くには、あいつも、あの子も、彼も、わたしも、もう40代。中には50代が見え隠れするヤツもいる。

荻窪の店に出入りしていた彼らには、何度となく言っていた。自分の店、というかプロデューサーとしての自分の夢は、ニッチや僻地やマイナーに埋もれてしまった文化や表現者に再度脚光を当てて、新しい時代の価値を生み出すことだった。それが、ジャズであり、ブルースであり、演歌もあり、自分が生まれた土地、青森県でもあった。それに賛同して不思議な表現者がたくさん集まってくれた。詩人や、コピーライター、デザイナー、本物のお坊さん、宗教学者、当時は環境や教育関連の業界では著名なプランナーの方も賛同してくれた。

店の立ち上がりの前後には、今思えば当時は錚錚たる文化人の方々に紹介を受けて、様々なミーティングやパーティーにも出向かせていただいていた。当時のぼくを知るビジネス関連の方々は、なぜか、ぼくがこんな人脈を持っているのか不思議がる人も多かった。本当に今思えば、奇跡的な出来事が多々あり、感謝だ。そして中には、若くして亡くなった稀代の表現者がであった人も含めて、何人かは、すでにこの世を去って行ってしまった。

今いる袋井という街。広い平野で、空が広く、また夕暮れの夕日が美しい。この風景はぼくの故郷の十和田市の市街から西の八甲田山の夕陽を見たときの感触にとてもよく似ている。

そして、故郷と似通いながらも、北国とは違ったややゆるい寒さの風の中で、どうにもこうにもやり過ごしてしまった近年の10年を思う。

本来自分自身が追い求めて来た文学やら物語の源泉がどこにあったのかを、また思い起こしていかなくてはならない。

忘れがちだったので、文字として記録しておけば、ジョン・コルトレーン、ジェイムズ・ジョイスの「ダブリン市民」、中上健次の路地、80年代のイオンと十和田、路地の破壊、再構築、テネシー・ウィリアムズ 欲望という名の電車 ブルース・リーと英語

そして、アメリカと、三本木原と、太素塚と、宇宙人。

袋井の夕陽で、思い出したこと。




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