高円寺 稲生座のルーツは青森県十和田市、そして新渡戸稲造

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稲生座と書いて、いなおいざ、と読む。

ぼくが生まれた青森県十和田市にかつてあった

大きな映画館だった。




映画館というよりは、

時々、芝居や演芸や演歌コンサート、

たしか、はたまたストリップショーなども

巡業として興行していたのではないか。

ぼくが十和田市で生まれ育った60年代は、

ガメラ、ゴジラ、ドリフターズ、加山雄三の若大将の映画は、

稲生座で、観た。

市川昆監督の「東京オリンピック」も

小学校の学校行事で観に行った。

当時の稲生座のキャッチフレーズは「娯楽の殿堂」。

映画はもとより、広く人々が楽しめる娯楽を提供する

というのがコンセプトだったと聴く。

その稲生座も、映画業界の変化とともに、

ぼくが高校生のあたりには閉館した。

だが、驚くことに、

ぼくが大学入学で上京した1980年、

東京の娯楽情報誌シティロードを手にすると、

まさに、まったく同じ名前の「稲生座」という

ライブハウスが高円寺にあった。

稲生座がかつて十和田市にあったということを

今の若い十和田市民は知らないのだろう。

そして、稲生座が、今も十和田市の想いを熱く抱きながら

ライブハウスとして存続していることを

ほとんどの十和田市民が知らないだろう。

そして、

十和田市民の多くが、稲生座、の稲生の意味を

よく知らないのだろう。

けれど、高円寺の稲生座は、

毎日が、ブルースとロックで満ち溢れている。

そのライブハウス稲生座の創設者の柴田さんは、

10年ほど前に亡くなって、今はいない。

が、店のスタッフの十和田の元祖稲生座への熱い想いは、

変わらない。

十和田には、本当のブルースが必要なのかもしれない。

ブルースの聴こえてこないバーボンなんて。

民謡の聴こえてこない日本酒のように。

淋しさを通り越して、悲しい。

【今日のなぜか武士道】

仕事が先月より旅、移動モードになりました。

よって旅先からスマホかオンボロのノートパソコンから

しばらく書くことになる。

ますます脈絡なく思いついたことを、書いてゆきます。

人生は、旅、ですなあ、などと。

オチボ




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