歩きはじめよ、と、男はいった④ 直感

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※写真出所、文・引用 「写真集・明治・大正・昭和 十和田」(工藤祐篇、昭和55年国書刊行会刊)より

※写真出所、文・引用 「写真集・明治・大正・昭和 十和田」(工藤祐篇、昭和55年国書刊行会刊)より

この写真が掲載された写真集を手元に置くようになったのは2002年。それ以前は十和田の実家の書棚に置かれていた。

前年に母親が他界し、翌年に父親も続けて逝ってしまった。その2年間の間に、家族や仕事に怒涛のような変化がおき、何度も何度も東京の自宅と故郷の十和田の実家と病院を行き来した。




一人で寝泊まりするにはだだっ広すぎる実家に一人で佇む。南側の窓からは、遠くに太素塚の森が見えた。その景色から、怖くて仏のように優しかった母親と、現在進行で衰弱してゆく父親と、幼い頃に過ごした太素塚の裏の界隈の暮らしの思い出が脳裏に渦巻く。

その二番目の実家が立地する住宅地は以前、前谷地と呼ばれ、全くの広く真っ平らな田畑地帯で、まさに三本木原のまっさら台地をそのまま物語る土地だった。幼い頃は、その土地の畑の一部を借りて、母親はいくつかの農産物を栽培しており、その場所に何度か手伝いにいった記憶がある。周りには田んぼと畑以外なんにもなかった。ただ、平らな土が広がり、日の光が降り注ぎ、風が吹いていた。

父親が病院の個室のベッドに眠るようになった頃、そんな過去の風景を想い出していた。

さらには、ここから遠い東京暮らしで、実店舗の運営をはじめたばかりで身動きできない自分は、これからどうしたものか、と考えながら、一人ポツンと居間に佇んでいると、書棚の母親が大切にしていた写真集が目に入った。それを取り出して、扉を開けたのだった。

そして、この一枚の写真を見た。

はたとその時に気づいたことがある。

私がいる実家の場所は、かつてはただの平地の田畑であり、その前はまっさらな荒地であったはず。今そこには家々がたち、一つの町の様相を呈している。

誰かが、荒地を田畑に、そして人の住む町にした。

同じように、この男も、どこからかよその場所からやってきて、畜産を営み、家族を形成し、愛馬との別れを愛おしむ。

いずれにせよ、ぼくは自分自身が新しい人生の旅に出なくてはならないことを、その場で直感した。




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