歩きはじめよ、と、男はいった② 六本木

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※写真出所、文・引用 「写真集・明治・大正・昭和 十和田」(工藤祐篇、昭和55年国書刊行会刊)より

※写真出所、文・引用 「写真集・明治・大正・昭和 十和田」(工藤祐篇、昭和55年国書刊行会刊)より

2008年の師走が近い頃、仕事が停滞して途方に暮れたあたり。一念発起して友人の紹介で知った六本木で開催されたビジネスセミナーに参加してきた。そもそも、二十代はセミナーの会社で企画の仕事をしていたが、自らがセミナーに参加するなんてはじめてだった。そのセミナーは、局地型のマーケティング戦略について、複数の多彩な顔ぶれの講師が話すものだった。




そのマーケティングスキームに関しては、広告代理店に勤務している80年代から90年代においては、頻繁につかわれている用語だった。

特に、所属していた会社のクライアントのほとんどが調味料、製油、菓子類、即席めん類などの食品メーカーで、ほとんどが業界2番だった。

当時のマスプロダクションが台頭し、小売がいわゆるパパママストアである独立店舗から、大型チェーンストアにスイッチする頃だったため、ストアの棚に商品を置くには、金と人員が多いほうが勝ちであった。

よって、一番手と二番手では、販促費も広告費も雲泥の差で、われわれのクライアントは、必然的に、差別化戦略、地域戦略にでなくてはならなかった。

それでも、ナショナルブランドの二番となれば、著名なメーカーや商品の広告宣伝を扱うことになり、各商品のカテゴリーのトップブランドをゆるがすための裏技、小技的な作戦を現場の仕事で実行するチャンスを得られた。

それから数年後、わけあってフリーになって、なぜか企業広報の編集やら、ITやら、環境問題やらのジャンルをまたいでなおかつ音楽系の飲食店経営をやっているうちに、時代は変わり、仕事も変わり、得意先のいくつかは店を畳むように、ぼく自身も職種を何かにスイッチさせなくてはならない必要にかられた。

それにしても、その場所は東京の新たな消費文化の核となる六本木であった。

ある種、マーケティングの核となる場所から、自分自身の故郷の僻地について考えるとは、思ってもみなかった。




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