2016-09

路地と武士道

太素塚の遊び方

子供たちにとって、太素塚の中で、 もっともスリリングで面白い場所は、 新渡戸傳、その息子十郎、さらにその息子の稲造、 十和田市の開祖新渡戸三代の三つ並んだ記念墓碑だったと思う。 本来、太素塚は、埋葬された新渡戸傳とい...
路地と武士道

聖地として、遊び場として

ぼくが生まれたのは、太素塚の裏の路地裏の平屋の家だった。 ものごころついた頃には、ただ普通に家の窓から太素塚の森が見え、 ただ当たり前のように、太素塚の森の中で遊んでいた。 ぼくが生まれた1960年代は、高度成長期であり、...
オチボ新聞

【週刊オチボ新聞】再び、生きる。

先日、自分の生まれ故郷に関わるシンポジウムに参加して、 ココロの中に溜め込んでいたものを書き始めようか、と思って このサイトに書き始めました。 ここにあるとドメインは前から持っていたんだけど、 何を書くかは決めていな...
路地と武士道

やさしさが溢れる、ほんつけなしの場所

ぼくが生まれ育った太素塚の裏の路地、通称「太素塚裏」は、 ぼくの世代の子供たちが成長する勢いに比して、 生命力を発揮していたように思う。 後に必ずさらに整理して述べるが、 太素塚とは、何か。
路地と武士道

夕焼けを見る理由

夕焼けは西に沈む。 十和田市を夕焼けの町だ、という理由。 日は東から昇り、西に沈む。 これは世界中、どこに行っても同じことがおきる。 幼い頃のぼくにとって、夕焼けとは、なんだったのか。 お父さんがバイク...
路地と武士道

夕暮れの町

ぼくは一頃、ライブのできるバーを荻窪で運営していた。 一頃とても暇で、一頃メチャクチャ繁盛した。 暇な時期に、彼は来た。 彼は、フォークシンガーだった。 彼は、ぼくの生まれた十和田に近い八戸の生まれだった。
路地と武士道

青森県十和田市本瀬戸山から/東三番町以前

青森県十和田市、新渡戸記念館のが立地する森、太素塚の裏の路地に生まれた家の話をしよう。 ぼくが生まれた頃は、東京オリンピックのちょい前だった。 当時は「瀬戸山」と呼ばれていた。
日記

なぜか武士道ブログ、はじめます。

「なぜか武士道」なんて、ぞんざいなタイトルで新しくブログをはじめることとする。 当初は、本当にぞんざいにはじめるので、ぼくを知る人は予めご容赦願いたい。 ともかく、今は、雑記でも、メモでも、書かねばならないという場面にある。 ...
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